とある平日、職場近くでのできごと
先日、会社の昼休みのことだった。午前の仕事が終わり、いつものようにお昼を食べにオフィスを出た。そして、駅前のロータリーから伸びる緩い坂道を下って行くと、普段はその場所で見かけることがない警察官の姿があった。
私が道路を渡ろうとして近くの横断歩道の前に立つと、一台の自動車が目の前を走り抜けていった。するとその瞬間、「ピィーーッ」っと鋭い笛の音が響いた。
鳴らしたのは道路脇にいた警官である。どうやら歩行者がいたにも関わらず、その車が停止しなかったのが原因のようである。車が路肩に停車すると、警察官は窓越しにドライバーに何やら話しかけていた。
私は横断歩道を渡った。すると、別の警官が路地から現れて「すいません」と声をかけてきた。そして、
「実は先日、この横断歩道を歩いていたお年寄りが車にはねられたために、取り締まりを強化しているのです。よろしければ、名前と住所を教えていただけませんか?」
と言った。どうやら取り締まる上で私の連絡先を知っておく必要があったようだった。私は聞かれたことを答えるとお店に入った。
入った店で注文を済ませると、先ほどの一時停止違反のことを考えていた。すると、以前訪れたスペインのトレドでのある出来事を思いだした。
トレドの横断歩道にて
それは2年以上前の初秋のことだった。当時、モロッコを旅行していた私はアフリカ大陸からジブラルタル海峡を船で渡り、スペインのトレド旧市街を訪れた。
トレドはスペインのほぼ中央に位置する古都である。タホ川の岸に造られた街で、中世の街並みを今に伝えている。6世紀、西ゴート王国の首都として栄え、画家・エル・グレコが愛した街でもある。
モロッコのタンジェからフェリーでスペインのアルへシラスに渡ると、その日のうちに夜行バスでマドリードへと向かった。翌朝、まだ暗いうちにマドリードに着くと、地下鉄を乗り継いでトレド行の便があるバスターミナルへ移動し、バスに乗り込んだ。
マドリードからトレドまでは約1時間。到着するとタホ川を挟んだ旧市街の対岸の丘の上に建つユースホステルに向かった。旧市街の中にも宿はあったのだが、実はこのユースホステル、なんと本物の古城を改装したものなのだ。旧市街の素敵な雰囲気が漂う街中に身をおきたいという強い思いもあったものの、古城に泊まる機会などそうそうないと考えて泊まることにしたのだった。
チェックインを済ませると川を渡り、トレドの旧市街へと向かった。街中に一歩足を踏み入れると、そこには中世の世界が広がっていた。カテドラルなどの有名な観光名所を最初に見ると、その後は特にあてもなく狭く曲がりくねった路地をぶらぶらと歩きまわり、街の雰囲気を味わった。
街歩きを楽しんだ後、以前写真で目にしたタホ川越しのトレドの街の全景を見ることにした。
旧市街の入り口にある門をくぐって外に出ると、信号機のない横断歩道の前に立った。すると走ってきた一台の車がスゥーとゆっくり減速して少し手前で停車した。
運転席を見てみると、メガネをかけたスペイン人の中年女性が座っていた。彼女は優しく微笑みながら、「お先にどうぞ。」といった感じに手のひらで道を渡るように優しく促してくれた。
恰好良かった。スマートすぎると心の底から思った。「恰好良い」なんて言葉は、女性に対して使うのはおかしいかもしれないが、事実そう感じたのだから仕方ない。感動を覚えると同時に小さなカルチャーショックのようなものを感じた。
私は軽く会釈して感謝の意を伝えると横断歩道を渡った。
その後、何度も同じように横断歩道の前に立ったが、そのほとんどにおいて車の方が停まってくれた。
2年以上前に訪れたスペインのトレドでの出来事。美しいトレドの街並みとともに、今でも強く心に残っている。
トレド
Text & Photo:sKenji