息子へ。東北からの手紙(2014年12月20日)陸前高田で聞いたこと

短い話だからちょっと聞いてほしい。

陸前高田で「傾聴ボランティア」という活動をしている人から聞いた話。傾聴ボランティアというのは、仮設住宅などを訪ねて、そこで暮らしている人からいろいろな話を聞くというボランティア。

被災地の人たちには、地元の人には「近すぎて」言えない悩みも多いものだ。家族や友人に話しても「また愚痴か」と思われてしまうかもしれない。「言っても仕方がないこと」と話を遮られてしまうかもしれない。それでも話したいことはある。そんな話をお伺いする活動。話すのではなく聞く、耳を傾けて聞くというところがポイントだ。

じっくり話さなければ聞こえてこない声

自分の数少ない経験でも、「よそから来ている人じゃなきゃ言えない話なんだけどね」という種類の話を聞くことはよくある。傾聴ボランティアはとても重要な活動なんだと思う。そんな傾聴ボラの人が言うことにはね、

陸前高田の半島の方の仮設住宅での話。そこは各4世帯の仮設住宅が4棟だけの比較的小規模な仮設団地なんだけど、最近になってどんどん人が引越して行って、とうとう全部で4世帯残すばかりになったんだって。

「4棟に4世帯でばらければいいのに、それが固まっちゃったとか?」と合いの手を入れてみた。仮設住宅は防音が問題だから、せっかく4世帯に減ったんならそれぞれ1棟だといいのにね、というつもりだったのだが、そんな話じゃなかった。

「その辺はうまい具合にばらけたんだけどね、せっかく仮設で付き合ってきたのに、出ていくとまたばらばらになってしまって、転居した先でまた一から近所づきあいを始めなければならないっていう話」

いま残っているうちの一人は、かなり年配の女性で、以前は一時期、内陸の都市にいるお子さんの家に世話になっていたんだけど、毎日の生活が上げ膳据え膳で「このままじゃボケてしまう」といって、わざわざ仮設に申し込んできた人なんだって。だけど、仮設団地に住んでいたご近所さんがどんどん転居していくから寂しがっているらしい。

復興住宅への転居が不安で仕方ない

世帯数が4分の1にまで減ったというその仮設団地は特別だと思うんだけど、仮設を出ていくということは、新居や復興住宅とかに引っ越すということだから、「いいこと」だと思うだろ。ニュースで「○○地区の復興住宅が完成し入居が始まりました」なんて伝えられる時にはほぼ間違いなく「明るい話題」扱いだろうからね。

でも、そんなに単純な話ではない。短期間住むだけの「仮りの暮らし」だったはずの仮設生活はもう3年。いくら住宅は仮設でも、この間に仲良くなった人たちとの関係やコミュニティは「仮」のものなんかじゃない。それぞれに実のあるご近所づきあいだったはずだ。

仮設住宅からご近所さんが抜けていくことで、コミュニティは崩壊していく。「こんど遊びに来てね」と誘われても、そうそう出掛けて行けるものではない。車がない人も多い。まして高齢の人が多い土地柄だから、せっかくできた友だちと別れるダメージは大きいと思う。

同じく深刻なのは、転居した先で新しく近所づきあいを始めなければならないこと。これが大変なストレスだというんだ。

「近々復興住宅に入居することになったおじいさんがね、こないだ傾聴に行った帰りに自分の携帯番号を書いたメモを渡してくれたんだ。連絡してくれよって、見たこともないくらい寂しそうな顔で」

ボランティアで仮設住宅を訪問しているんだから、携帯番号は知っているはずだよ。それでも、自分の携帯番号を渡して念を押さなければならないくらい、気持ちが追いつめられていたのだろう。聞いていて辛い話だった。

そうは言っても、仮設なんだからいつかは出ていって、新しい生活に移行しなければならないというかもしれない。そりゃそうだ。でも若い人ならともかく、高齢者にとって転居は想像以上に大変なことなんだ。

そして、「いつかは次のステップへ」といって突き放してしいいものなのか、という問題でもある。新しい住宅への転居がきっかけで孤立する人たちが出てしまったら、仮設に入るときの孤立の問題の繰り返しじゃないか。

重要なのは、その人ごとに困っていることや悩みが違うということ。震災の直後のように、ガレキ撤去を手伝います、炊き出しに来ましたという分かりやすいニーズだけではなく、傾聴ボランティアもそうだけど、いろいろときめ細かいサポートが必要だということ。

これは陸前高田だけのことでない。話を聞いていて、名取市や亘理町でずっと活動しているロシナンテスの人たちや、石巻や女川、福島の久之浜の人たちの話を思い出した。事情はどこもオーバーラップしている。

駅ができます。復興住宅が完成します。新しい商店街づくりが始まりました…。復興が進んでいるというニュースは話半分に聞いておいた方がいいかもしれない。

箱ものができたという種類の話によって、肝心のそこで生きる人たちのことが忘れられそうになっているように思う。

まずは、一緒に過ごす時間をつくって、じっくりと話を聞くことだろうな。悲しくなるような話もあるけれど、東北の人たちって話好きの人が多いし、話していて逆にこっちが勇気づけられることも多い。ありがたいことだ。貴重なことだと思う。これからも、友だちとして付きあわせてもらいたいと思っている。

陸前高田のかつての松原付近。地元の人が「コンビナート」と呼ぶ巨大なベルトコンベアーで構成されたかさ上げプラントが黎明の空に聳えていた(国道45号線と340号線の交差点付近)