JRいわき駅前交番の壁面には「KOBAN」と書かれた隣に魚のようなキャラクターが描かれています。魚のような、なんて言っては失礼にあたるでしょう。そのキャラこそ、平成13年10月1日、いわきの「市の魚」に制定されたメヒカリだからです。
話は飛びますが、「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉があります。新約聖書「マタイ伝」に出てくる言葉で、その意味は人間は物質的な食べ物を食べて生きているだけでは意味がなく、神の言葉に生きなければならないということなんだとか。
そうは言うけれども、食べ物が持っている特別な力によって、精神的にも充実した生き方ができるという面もあるよな、と思った出来事について手短かに紹介します。
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駅前交番の壁面にメヒカリを見つけたのは、いわき市在住の友人と食事をしようと待ち合わせをしている時のことでした。合流後みんなで駅の近くの居酒屋に入ったところ、メニューには「メヒカリの素揚げ」の文字が。きっと何かの縁だから注文しようということになり、ほどなく料理がテーブルに出されてきました。
いわきの友人はメヒカリの素揚げをじーっと見ながら、「メヒカリを食べるのなんて、ずいぶん久しぶりだなあ」と口にしました。一瞬、エッという雰囲気が広がりました。原発事故で福島沖の漁業が制限されている中、地元の人たちの間でも地物の魚、それも市の魚を食べなくなったのかなんて思わせてしまったかと察したらしく、「いやいや、メヒカリは居酒屋なんかで食べる魚で、家庭で食べることは珍しいということですよ」と彼は言い足していたけれど、やっぱりそういうことなんだろうなと感じたのでした。
翌日、とある神社での集まりで「昨晩はメヒカリの素揚げを食べたんですよ」と話したら、地元の人たちがひとしきり地物の魚がいかにうまいと自慢話を披露してくれた後、「でも、最近では市場に行っても他所の産地で獲れたものばかりなんだよな。食べたっていうメヒカリはきっと福井あたりのものだろうな」と少ししんみり。福井という地名に、さらにその場の体感温度が下がっていく中、
「獲れたての魚、漁港に水揚げされたばかりの魚が当たり前でしたからね。地元の魚を食べられなくなってはじめて、おいしい魚をたべることのありがたさが分かったというようなことなんですよ」
まるでバツが悪くて頭を掻くような雰囲気の口調で、宮司さんが言い添えてくれた言葉がしみました。当たり前の幸せをいかに自分たちは知らなかったことか。
居酒屋で会った友人も、神社で会ったみなさんも、震災や原発災害がある中で、未来に向かって頑張っている人たちですなんですよ。お会いして話をするといつも「本当に大切なこと」を教えられるような、そんな人たちです。だけど、地物の魚の話になるとやはり少し元気がなくなってしまう。
人はパンのみに生きるにあらず。されど、人には大切な食べ物がある。自分たちの誇りとか存在とかを支えてくれる大切な食べ物がある。しかし、えてしてそうしたソウルフードは当たり前すぎて、「失ってからありがたみがわかる」という特徴をもっているのかもしれません。原発事故が奪ったものの大きさを強調したいということではありません。いや、もちろんそれもありますが、人を生かすための「パン」や、人が勇気を奮い立たせるために必要な自然、そして故郷というものがあることを、いわきで生き生きと生きている人たちの表情に一瞬走った陰が教えてくれたと感じたのです。
あなたにとってのソウルフードは何ですか。それがなくなるような事態を想像したことはありますか。