経済界と原発についてのメモ書き

見えにくい原発と経済界のつながり

日本の原子力黎明期の年表には吉田茂や湯川秀樹といったビッグネームに交ざって、読売新聞社社主で衆議院議員だった正力松太郎、科学者たちが日本に原子力が必要かどうか激しく議論している最中に原子力予算を獲得した中曽根康弘といったよく見る名前が登場するが、なぜか不思議と当時の財界人の姿が見えてこない。

しかしこんにち経済界は原発推進の一大応援団だ。東電の原発事故の4カ月後に経団連が原発再稼働を提言したり、その後も経団連会長の米倉弘昌が原発推進を強く主張したり、先日も6月に経団連会長に就任したばかりの榊原定征が東北視察中に「再稼働は国民全体の願い」と発言したり。日本中のさまざまな業種の企業の団体であるから、原発に対しても多彩な意見があってもいいはずだ。現に原発反対を唱えるソフトバンクの孫正義や、電力事業の考え方から経団連を脱退した楽天の三木谷浩史のような人もいる。しかし経団連全体としてはいまも原発推進は大看板として掲げられ続けている。

いったいどんな経緯でいまのような状況に至ったのだろうかとずっと疑問に思っていたら、「原発と権力」(山岡淳一郎/ちくま新書)に次の記述を見つけた。少し長いが引用させていただく。

 では、なぜ、むつ小川原開発の地域内の六ヶ所村が、核燃料サイクル基地に選ばれたのだろうか? もう一度、時代をさかのぼって立地の経緯をたどっておこう。

 陸奥湾と小川原湖を結ぶ広大な地域開発がナショナルプロジェクトに選ばれたのは、政府の「新全国総合開発計画(新全総一九六九年)」がきっかけだった。

(中略)

 当初は、石油精製設備や石油化学プラントからなる石油コンビナートを建設する予定だった。それに経団連が反応し、七一年に「むつ小川原開発会社」が設立される。形は第三セクターだが、電力、鉄鋼、不動産などの民間主導で北海道東北開発公社が融資している。

石油危機による転換

 七〇年代初頭、三井不動産や三菱地所のダミー会社が、南北三十三キロ、東西十四キロの細長い六ヶ所村の土地を買い漁った。

(中略:鎌田慧「日本の原発危険地帯」からの引用)

 六ヶ所村の土地は買い占められ、むつ小川原開発会社は沿岸の漁業者に札びらを切って補償をとりつけ、漁業権を押さえた。そこに二度の石油危機が直撃する。石油コンビナートを望む会社など、まったく見当たらなくなった。あてが外れた開発会社は、国家石油備蓄基地を誘致する。それでも農民や漁民から買い漁った広大な土地は売れない。借金が雪だるま式に膨らんでいく。

 むつ小川原開発会社は、十億円超の累積赤字と一〇〇〇億円を上回る借金を抱えて、政府の補助金で食いつなぐ。数年で借金は一五〇〇億、二〇〇〇億とさらに増えると予想された。進退極った開発会社は、核燃料サイクル誘致に踏み切ったのである。

 相談を受けた経団連も渡りに船だった。開発会社の資本金三十億円のうち、公的機関である北海道東北開発公庫が十億円、青森県が五億四〇〇〇万円、残りの十四億数千万円を電力や鉄鋼、不動産、銀行と言った大手一五〇社が負担していた。経団連に集う大企業は、負債と金利負担で呻吟する開発会社をこのままにしておけば、やがて火の粉がふりかかる。土地を塩漬けにはできない。利潤追求の前では土地の利用方法など二の次だ。

 中曽根発言を先途と、関係各団体は六ヶ所村の核燃料サイクル基地化へ驀進した。

引用元:山岡淳一郎「原発と権力――戦後から辿る支配者の系譜」ちくま新書 163~166ページ

引用の文末にある「中曽根発言」とは、1983年末、衆院議員選挙の遊説で当時の中曽根首相が青森入りした際に、「下北半島は日本有数の原子力基地にしたらいい」と発言したことを指している。

六ヶ所村と経済界

60年代末、東京オリンピックの5年後に政府が開発計画をぶち上げる。電力や鉄鋼、不動産、銀行と言った大手150社がリードする形で開発会社が組織され、用地買収が進められる。民間主導とはいえ、北海道東北開発公庫からの出資というかたちで国も一枚噛んでいる。典型的な政官業による事業展開だ。

政治家には政治家の計算が、官僚には官僚の思惑が、そして企業には企業としての目論見があったのだろう。それらが複雑に絡み合い、渾然となって巨大な事業体が形成されていく。見てきたわけではないが、そんな様相が目に浮かぶようだ。

ところが見込んでいた未来図はある日を境に紙切れ同然と化してしまう。73年と79年の二度にわたってオイルショックに見舞われたことで、石油関連の新規事業の可能性が一気にしぼんでしまったのだ。借金して買い集めた広大な土地を売る当てはなく、利息ばかりがどんどん膨らんでいく。

そんな中での83年末の中曽根発言。84年には電気事業連合会(電力会社による任意の連合会)が青森県知事に対して「核燃料サイクル施設立地協力要請」を行い、85年には青森県は正式に受け入れを表明する。急転直下に進んだ六ヶ所村の核施設建設決定に胸をなで下ろしたのは、再処理施設建設を国に求められていた電力会社だけではなかっただろう。

いまも「むつ小川原」の開発に注力するのは?

山岡淳一郎の「原発と権力」を下敷きにして、六ヶ所村と経団連、できれば電力会社以外の企業がどう関わってきたのかを透かして見たいと考えてここまで書いてきた。しかし「原発と権力」は山岡淳一郎の著書であって一次資料ではない。本書の内容が正しいかどうかの判断材料も持ち合わせていない。

それでも、拭い去れない次のような疑問がある。

原発でつくられる電気が、これまで言われてきたように安くないことは明らかになっている。計算の仕方で安く見積もって主張する人もまだいるが、核廃棄物の長期保管を考えれば「安い電気」などと言えないことは自明だ。この先、どれだけの費用が必要になるのかさえ分からない。さらに、原発事故が引き起こすあまりにも悲惨な現実は、補償という金銭で引き合うようなものではない。

それなのに、いまでも「原発は必要だ」という人がいる。
それも、世論調査などによると、驚くほどの数の人が原発は必要だという。

これはどういうことなのだろう?

六ヶ所村は想像しやすい一例に過ぎなくて、それ以外にもさまざまな場所で、原子力とは一見無縁に思える企業の数々が、解きほぐすことのできないほどの緊密な関わりを結んでいて、その状態はすでに「一蓮托生」というよりほかないということなのか。あるいは、直接の関わりは必ずしも大きくなくても、「電力さんと一心同体」という企業の文化とか風土というものが企業のオフィスを埋めているのだろうか?

銀行は? 不動産会社は? ゼネコンは? 原子力発電と関わりがあるといっても、仕事全体のいったい何パーセントが原発関連なのか。再稼働はせず、原発関連事業を計画的にフェードアウトさせていくことは本当に不可能なのか?

経団連のホームページに「むつ小川原開発」というページがある。

むつ小川原開発は、閣議了解を得た大規模なナショナル・プロジェクトで、国土交通省、青森県、六ヶ所村、日本政策投資銀行、日本経団連、新むつ小川原株式会社との連携により進められております。

これまでに、国家石油備蓄基地、原子燃料サイクル施設などのプロジェクトに加え、液晶関連工場、花卉工場、風力発電施設などの民間企業の立地も進んでおります。

また、2007年2月には日本とEUとの間において、国際熱核融合(ITER)に関連した「幅広いアプローチ(BA)」協定に署名がなされ、国際核融合エネルギー研究センターの建設が始まり、世界中の科学者からも注目を集めております。

日本経団連では、むつ小川原開発推進委員会を通じて、むつ小川原開発を支援しております。

引用元:むつ小川原開発 | 一般社団法人日本経済団体連合会

むつ小川原、六ヶ所村の開発は、経団連が今後も支援していくというのである。

原発の再稼働を進める人がどんな考えを持っているのか、もっと知らなければと思う。まさか経済界の中における原発推進の動機が「毒を喰らわば皿まで」でないことを祈りつつ、その最初のメモ書きとして。

(文中敬称略)

文●井上良太