岩手県宮古市の田老地区。上空から見ると「X」字形をしている巨大な防潮堤がある。堤防は昭和9年に工事が開始され、途中に中断や増築を経て、昭和53年に完成している。自分の目で見ておきたかった防潮堤のひとつで、先日行った東北旅行の際に訪れる。震災から約3年3か月が経過した田老地区の「今」を写真でお伝えします。
2014年5月30日、田老地区
田老地区の防潮堤は「万里の長城」とも形容され、その巨大さで震災前から注目されていた。しかし、その巨大堤防をもってしても、津波の被害を防ぎきれなかったことが、多くのメディアにクローズアップされて取り上げられた。
同地区には先月の30日、青森県・八戸市から岩手県・宮古市へ向かう途中に立ち寄った。岩手県の岩泉町から車で国道45号を南下して20分もすると、田老町の市街地が見えてきた。
市街地に入ってすぐのところには川が流れていた。そして、それに沿うように防潮堤と思われる大きなコンクリート製の壁があった。川に架かる橋を渡ったところで付近を歩いてみようと思い、近くにあった駐車スペースに車を停めた。駐車場では、男性3人組みが話をしていた。彼らに「これが田老地区の防潮堤ですか?」と、目の前にあった巨大なコンクリートの壁を指差して確認をすると、「そうですよ。昔はX字型だったのに、今はかけて、Y字型になっちゃいましたが」と教えてくれた。
「防潮堤の上、歩くことできますか?」と聞いてみると、問題ないということだったので、階段をのぼって堤防の上にあがる。田老地区の防潮堤は総延長約2.5㎞、海面からの高さは10m(最大地上高としては7.7m)ある。登ってみると堤防の巨大なコンクリートの壁が遠くまで伸びていた。防潮堤の両脇には市街地が広がり、住宅などが軒を連ねていたという。
市街地があった場所は、再び住宅、商業、産業地として利用されることが計画されているとのことだが、3年以上たった今も建設が始まりそうな気配は感じられなかった。
宮古市の復興事業計画案によると、浸水被害のあった市街地はかさ上げを行った後に土地区画整理事業を行う予定で、事業完了は平成33年3月末とのことである。
防潮堤の中央近く、X字型の交差部分にあたりくると、津波により倒されたと思われる街灯が震災当時のような状態であった。
堤防上部のふちの一部は真新しく補修されているが、それ以外については市街地、防潮堤ともに復旧工事は手つかずのように見えた。決壊した堤防もそのままの状態で残っている。
堤防から降りて決壊した部分を見てみると、これまでコンクリートの塊だと思っていた田老の防潮堤の内部が、実は石と土でできていることがわかった。堤防について調べてみると、どうやら石や土を盛り、その表面をコンクリートで覆っているものも多いようである。
厚いコンクリートの壁をむしり取ったかのような爪痕は、3年以上たった今でも津波の破壊力を伝えている。
田老地区を歩いていると、目を引く建物がある。「たろう観光ホテル」である。
ぽつんと1棟だけ立っているために防潮堤の上を歩いている時から目にとまっていた。同ホテル3階部分までの壁や内部は破壊されており、津波の大きさを物語っている。近くに行って見上げると、その高さがどれほどのものだったかよくわかる。
夕闇のなかで・・・
田老地区の市街地を見る限り、復興の兆しはほとんど見られなかった。しかし、北側の山に目を向けると、状況は少し異なっていた。山では斜面を大きく切り崩して、造成工事が行われていた。
工事について調べてみると、どうやら高台への移転工事のようで、昨年7月に着工されている。計画では、復興公営住宅96戸を含む285戸の住宅のほか、公園、集会所、診療所、保育所などをつくるという。
太陽はすでに沈み、あたりはうす暗くなっていたにも関わらず、造成地では明るい電灯がつけられ、ダンプなどの工事車両が動き回っていた。今年の秋あたりから住宅を建てられるように工事を進めているとのことである。
先日の東北旅行では、車で八戸から釜石まで車で南下する途中、津波の被害を受けた町を見てきた。それらの多くの場所では、復興工事が手付かずのように見えたのだが、そのような中にあって、田老町の造成工事は少し明るい光のように感じられた。
田老地区
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji