【レポート】復興支援ツアー2014 ~東北を見て、そして伝える~ by sKenji

初夏の奥入瀬

1日目

5月29日。いよいよ、東北旅行に出発!

当初、計画していた予定では、昼過ぎに岩手県・二戸駅到着予定でしたが、新緑に輝く奥入瀬の写真を少しでも綺麗に撮りたく、急遽、前日、東京在住の友人宅に泊まり、07:36東京発の東北新幹線に乗り、東北へ向かいました。

岩手県の二戸駅に、10:20に到着。駅前でレンタカーを借り、奥入瀬渓流へ。十和田湖経由で行ったのですが、十和田湖の新緑の美しさに何度も車を降りて写真撮影。おかげで、奥入瀬渓流の子ノ口到着が、13時になってしまいました。

奥入瀬渓流とは、十和田湖畔の子ノ口から焼山までの14kmの区間のことを指すのですが、私は、このうち子ノ口から石ヶ戸までの約9㎞を歩きました。

奥入瀬渓流の美しさについつい立ち止まって見入ってしまい、当初の予定よりも時間を要してしまいました。詳細は、下記のぽたるページで!

石ヶ戸まで歩いた後、十和田湖・休屋地区のホテルに、チェックイン。

復興支援ツアーの旅程を考え始めた当初は、八戸など、太平洋沿岸に泊まることを考えていました。しかし、震災による風評被害で、十和田湖の観光産業が大きなダメージを受け、宿泊客の落ち込みが激しいということを知り、十和田湖畔に宿泊することにした経緯がありました。

チェックインの後、十和田湖・休屋地区を見て回りました。多くのホテルやお店のシャッターが閉まり、通りには、人もほとんどいませんでした。異様な光景に正直、衝撃を受けました。十和田湖の観光は、考えていた以上に深刻な状況でした。
十和田湖で宿泊した宿は、1泊2食付きで、なんと7700円。ロケーション、部屋、食事の内容など全てが良く、コストパフォーマンスの高さに大満足でした。

美しい十和田湖、奥入瀬を見た後だっただけに、いったいなぜ、人が来ないのだろうと、いまの状況が不思議でなりませんでした。

宿の温泉、食事を楽しみ、夜はおひとりさまビールを楽しんで素敵な第1日目が終わりました。

2日目

予定では、十和田湖から直接、八戸に向かう予定だったのですが、朝の奥入瀬の写真を撮りたく、再び奥入瀬渓流に行きました。

昨日、阿修羅の流れなど、奥入瀬でも最も美しいと言われている区間を歩いた時には、日が傾き、光量が少なかったのですが、この日は、強い太陽の光で、前日とは別の奥入瀬の写真を撮ることができ、大満足でした。

しかし、あまりに美しい奥入瀬を目の前にし、ついつい写真撮影に熱中し、奥入瀬を出発したのが10時半過ぎになってしまいました。

奥入瀬から、八戸へ向かいました。八戸は太平洋沿岸にあり、津波の被害をうけています。港に行ってみると工事をしていました。何の工事をしているか尋ねてみると、港の護岸のかさ上げ工事だということでした。八戸の港も1mほど(※聞き間違いかもしれません。市の公表資料では、八戸港で6.2mの津波が観測されています)浸水したそうです。教えてくださった方は近くにあった倉庫のシャッターを指差して、「あれも津波のあとですよ」と教えてくれました。

八戸の後、普代村を目指して南下を開始しました。当初の考えでは、ずっと海岸沿いの道を走るつもりでいたのですが、時間の関係で、国道45号線を南下しました。途中、久慈市、野田村など、いくつかの町によって、普代村まで南下しました。

普代村からは、内陸に入り、龍泉洞へ向かいました。

龍泉洞は日本三大鍾乳洞のひとつとされ、世界一の透明度を誇る地底湖で有名です。吸い込まれそうな美しい地底湖に、ここでも写真撮影に力が入り、結局2時間も滞在してしまいました・・・。詳細は、後日、ぽたるページで紹介します!!

龍泉洞入り口前にて撮影

龍泉洞のあとは、田老町へ。田老町には、今回、どうしても見てみたかったもののひとつである巨大堤防があります。万里の長城とも形容された立派なものでしたが、津波により、その一部が破壊されてしまいました。

田老町に着いた時は、かなり日が傾いていましたが、堤防の上を歩き、その後、付近を歩いてみました。

田老町のあとは、この日の宿泊地、宮古市へ。

宮古市では、ホテル近江屋に泊まりました。港のすぐ近くにあり、ホテルの裏側には、木材の加工工場もあります。震災時、この木材が津波で流され、凶器のようにホテル近江屋や宮古市の街を襲い、大きな被害が出てたということです。

バイキング形式の食事を終え、お風呂に入った後、この日の夜も、おひとりさまビールの会を催しました。