那須野公美さんの「震災を経験して」を勝手に推しちゃう入口ページです。
震災を経験して(9)「苛酷を極めた大規模避難所での食糧事情」
ぽたるに自分目線で当時の話を書くようになり、間違った情報を載せる訳にいかないと思い立ち、信頼できる友人Yちゃんにメールで7つの質問を送ってみました。
彼女は快く快諾してくれて「当時書いてた日記を読み返すよ」とまで言ってくれて、家族にも同じ質問をしてくれて、一家のみんなから回答を頂きました。
彼女らしいキチンとした対応に頭が下がるおもいです。
そして、その回答を読んだ私は驚愕の事実に打ちのめされました。
那須野さんは言う。「もう、誰にもこんな目にあってほしくないと願ってる」
震災を経験して(8)「何が欲しい?に返ってきた答え」
「子供の服がね、支援物資はサイズが偏ってて、130のズボンが無いの」
「ジャージの上下があると助かる。昼間はガレキの中を動き回ってるから」
忘れないようにメモる。
「それからね…お願いしてもいいのかな?」
「なに?なんでもいいから!気にしないで言わいん!!」
「あのね…ブラジャー欲しいんだよね、ショーツはたくさんもらえるけど、さすがに支援物資にブラジャーは無い」
「そっか!」
実家に避難した那須野さんたちが、女川の避難所で見たものとは。
震災を経験して(7)「偉大なる五右衛門風呂」
産まれながらの五右衛門風呂育ち
私の実家ではいまだに五右衛門風呂が現役で活躍している。
小さい頃から入ってるので風呂とはこういうもんだとばかり思っていた。
家の外に建つおんぼろ小屋、火をくべると立ち上る炎の先には丸い鉄ガマの底。
外壁はススだらけで手を付いた日にはエライ目に合う。
裏山から杉っぱ(杉の枯れた枝)を拾い集め着火剤に。
もちろん薪割もやった。
おっ父、おっ母の見よう見まねで、コツをつかむとスパンと真っ二つに割れる。
それがまた実に壮快で気分がいい。
さらに夢中になって薪を割る。(たぶん親はしめしめ…と思っていたに違いない)
順番に重ねた燃料にマッチを擦って投げ入れると、新聞や杉っぱは勢い良く燃えてあっという間に消えて灰となって落ちる。
細い薪に十分に火が着いたら太い薪をくべて、毎日実益を兼ねた火遊び。
火のゆらめきをを見つめていると時が経つのも忘れてボ~っとしてしまう。
そんな懐かしい五右衛門風呂の光景から、震災直後の被災地の様子へ。想像してみてほしいのは、ママ友たちに「小さな声で言い訳を並べる」那須野さんの気持ち。
震災を経験して(6)「もう誰にも話しかけるな」
女川入りした私たちを待ち受けていたもの
やっとの想いで女川へ帰れたのは
3/13(日)午前のことだった
女川は消えていた
至る所に”そこに有るはずの無いもの”がある
ビルの屋上にはひっくり返った乗用車
電信柱のてっぺんにぶら下がる家庭用プロパンガスボンベ
山の斜面に突き刺さってる漁船は素人目には何十トンあるのか見当もつかない
ありとあらゆるものがぐちゃぐちゃに折り重なり合いうず高く積まれ黒い壁となり
重機でかき分け造られたばかりの道筋だけが町内へ導くようにスーッと一本通っていた
現実感からあまりにも遠い現実。生きていることに覚える罪悪感。これからずっと語りつないでいきたい文章です。ぜひ
震災を経験して(5)「きのう銀行の窓口で・・・」
「那須野さんって新聞のコラム書いていた方ですよね? 文章がすごくお上手で毎回読ませて頂いてましたよ。大変な経験されましたね、頑張ってください!」
きのう銀行窓口で名前を記入した用紙を見せた途端、担当の女性行員からこのように声掛けされ、あまりの出来事に面食らってしまった!
見ず知らずの人と記事を通してつながっていられた喜びがストレートに伝わってくる、素敵な物語です。
震災を経験して(4)「いちばん悔しかったこと」
いろいろ辛いことがありすぎて
涙を流すことも忘れてしまった3月11日以降
この話を聞いたとき
なんだか、とてつもなく悔しくてくやしくて
体中の血が逆流するようにカーっとなって
はじめて泣いた
震災を経験して(3)「とんびの兄ちゃんは生きていた!」
とんびで大渋滞!
朝の通勤ルート、女川から石巻市の魚町へ入り日和大橋へ向かうと、原因不明の渋滞につかまった。
女川から石巻市への道は必ず北上川を越えなければならない。
橋は海側から順番に「日和大橋」「内海橋」「石巻大橋」「開北橋」それに南境に新しく作られた北部バイパスの「曽波神大橋」の5か所。
ひとつの橋で事故が起きるとすぐさま渋滞が起き、しびれをきらした車が隣の橋へ次々と流れ、更に渋滞が広がっていく。
しょっちゅうある事、「会社に間に合うかな?」ため息をつきながらダンナに話しかける。
何気ない日常のちょっといい話が震災を越えて感動の物語に。
震災を経験して(2)「女川第二小学校のがんばり坂」
「お母さん!今日ね校内放送で”学校坂道”が流れたんだよ!曲が始まった瞬間に凜ちゃんとバっと顔を見合わせちゃったよ」
学校坂道とは子供が通っていた女川第二小学校で、校歌の次によく歌われていた曲です。
私はてっきり女川二小のためにつくられた曲だとばかりおもっていました。
それほど歌詞が女川二小にピッタリだったから!
震災、引っ越し、転校……。
だけど今も変わらぬ女川への想いを「学校坂道」の歌詞に載せて
震災を経験して(1)「不幸中の幸いだった我が家の再建事情」
ありえない早さで自宅を再建できた理由
我が家は2011年中に自宅を再建することが出来ました。
しかも「土地が無い! 土地が無い!」騒がれている石巻市で。
なぜか?
大金持ちで金に物言わせて買ったのか?
イヤイヤ、我が家は夫婦のけっして多いとは言えない給料でカツカツの生活してましたから・・・
最後までじっくり読んで下さいね。
勝手に推し推し!●井上良太