昨日、東北で賛否両論ある防潮堤について、あれこれ考えていた。ただ、調べたり考えたりするものの、うまくまとまらない。帰宅しても試行錯誤は続いたのだが、さすがに疲れ果てて、風呂に入る。
すると、防潮堤とは直接関係のない、小学生のころの記憶が、ふとよみがえった。
子供の頃は、父の仕事の関係で引っ越しを繰り返していた。
中学に入る際に、千葉県の内陸に引っ越したのだが、それまではずっと海のそばに住んでおり、小学校の大半は、日本海に面した京都府の片田舎で過ごした。
当然、海は大切な遊び場のひとつであり、休日や夏休みになると、友達とよく魚釣りに行った。
母からもらったエサ代をポケットに突っ込み、お弁当と水筒を持つと、針や釣り糸、おもりなどが入ったタックルボックスと釣竿を自転車の荷台にゴムバンドでくくり付け、5、6人でチャリンコの編隊を組んで海に行く。
近くの海に行くこともあれば、1時間以上かけて遠征することも度々あった。
遠征場所は、はっきり言って、まったくといっていいほど釣れない場所だった。
けれども、みんな、その遠くて釣れないポイントが好きだった。
リアス式の大きな湾を見渡すことができる開放的な場所で、高さ1mにも満たない、高潮と車の転落を防ぐ目的のコンクリート製の壁を乗り越えて行く。
いま訪れたら、どこにでもある普通の田舎の海岸端に感じるのかもしれないが、そこで釣りをして、飽きたら海で泳いで、持ってきた弁当を食べることが楽しくて仕方がなかった。
通学路も海近くを通っていた。途中、河口にかかる橋があったのだが、学校の帰り際に、橋の上や付近の岸壁から、魚がいないかどうか、のぞき見るのが楽しみだった。よく、サヨリやボラなどといった魚が泳いでいたのだが、その姿を見るだけで、心が躍ったものだった。
いつか、あの懐かしい海を見に行きたいと思っている。
けれど、もし仮に、巨大な防潮堤がそびえるように立っているならば、記憶の中だけにとどめておく方が、幸せなのかもしれないとも思う。
身近な遊び場所だった海は、泳ぐと、底の見えない深さに、得体の知れなさを感じる怖い存在でもあった。親近感、憧れ、未知、畏怖など、全てが入り混じったものが海で、それら全てを遮断するのが、高い防潮堤のような気もする。
東北に計画されている防潮堤は、場所によって異なるが、5mとか10mとかあるそうだ。海に蓋をするように、高い防潮堤が作られたならば、街は、鳥かごのようになってしまわないだろうか。そのような懸念も感じてしまう。個人的には、日差しを受けて銀色に輝く海を見ることができる街が好きだ。
しかし、津波襲われた時、巨大堤防によって、自分や家族、友人の命が救われたならば、それでもやはり高い防潮堤はない方がいいと言えるのだろうかとも思う。
わたしは津波の本当の恐ろしさを知らない。
高い防潮堤を、命を守る楯と考えるのか、それとも鳥かごと考えるのか。賛否両論、答えはないのかもしれないが、それでも、高い防潮堤の建設で揺れる街の子供や大人たちに聞いてみたくなった。
Text:sKenji