地元の海で泳ぎたい!
こどもたちのシンプルな想いから始まった南三陸町長須賀海岸のビーチ再生。まったくの素人だけど、こどもたちの想いの実現のために何とかしたいと集まった有志たちと、震災を体験したこどもたち。掘っても掘っても砂の奥から出続ける被災物。めげそうになる気持ちに負けずに続けたビーチクリーン。福島から重機持参で応援に駆けつけた人もいたという。駐車場や避難路、水設備の整備など海水浴場としてオープンするためのハードルは高かった。想定外の出費が重なった。
それでも2013年7月20日、南三陸の浜に復活したビーチに歓声が響き渡った。
未来への「つながり」 南三陸町 歌津地区 長須賀海水浴場
こどもたちはもちろん、関わった大人たちの笑顔も最高だった。ビーチ再生の中心メンバーだった勝又三成さんが、海水浴場のオープンを数日後に控えた雨降りの日に、瞳を輝かせながらこんな話をしてくれたのを覚えている。
「地元の人たちやこどもたちがビーチを再生したことで、防潮堤の計画が変更になるかもしれない。海と人の関わりを活かした形で、浜の復興が進められるチャンスはあると思う」
ビーチがコンクリート堤防で完全に覆われてしまう
ところが現在進められている海岸堤防の計画では、せっかく再生したビーチがコンクリートで覆われてしまうことが判明。下の図の青いラインが東京湾の平均海水面。上に紹介した写真に見える古い堤防や砂浜がどうなるか、グリーンの文字で示した。
高さ8.7メートルのコンクリートの塊が今ある海辺の景色を埋め尽くしてしまうのだ。
こどもたちの希望だったビーチはもとより、海とともに生きてきた地元の人たちの生活までをも一変させてしまうかもしれない。
立ち上がった有志の会
そして有志の会が立ち上がった。
勝又さんの言葉を借りるなら、「南三陸の 地域を心から想う若者達が 地元の自然と子ども達の未来の為に」
素晴らしいのは、設立趣意書で宣言されているポリシーだ。
この会は、行政の復興計画に反対のための反対運動を行うものでもなければ、計画を混乱させることで復旧・復興活動を遅らせるものでもない。
時間や予算という制約の中で、住民サイドが一方的に納得させられるのではなく、幅広い年代の住民による参加と多角的な視点による議論、共に考えていくことの大切さを強調する。
さらに、復旧・復興は、まちづくり・産業・雇用・観光・教育等、総合的に考えていくべき問題だと定義づけた。
掲げられたポリシーの向こう側に、復旧・復興に向けて進められている事業と、地元住民との間に横たわる課題が透けて見えないだろうか。
それでも「長須賀海岸の砂浜を守る有志の会」は、幅広い年代層の参加で、問題を総合的に考えいくことを表明した。
「復興」の本当の姿を応援してください
工事がどんどん進んで行くことが復興ではないということを、彼らの活動は教えてくれる。住民が一方的に納得させれるのではなく、ともに考えていく未来の姿。
彼らの活動を知っていただき、ぜひ応援をお願いします!
長須賀海岸の砂浜を守る有志の会
設立趣意
私たちは、南三陸町で唯一の天然の砂浜の海水浴場(歌津長須賀海水浴場)の保全を考えていきます。
長須賀海岸は、歌津の語源であり、アイヌ語で「長い砂浜」を意味する「オタエツ」が転訛したものです。
南三陸町で長須賀とつく地名は3箇所ありましたが、現在海水浴場として残っているのは、歌津の長須賀海岸のみになりました。南三陸町の伝統的な歴史的文化を継承していく為にも、残していきたいと考えています。
長須賀海岸の砂浜を守る有志の会は、行政の復興計画に対する反対運動でもなければ、決して地域の復旧・復興活動を遅らせるものではありません。当会では、行政と住民が納得いくまで話し合い、自然を活かしたまちづくりを目指しているからです。
時間や予算という制約の中で、一方的に納得させられるのでなく、幅広い年代の住民による参加のもと、多角的な視点より議論をし、共に考えていくことに意味があると考えております。復旧・復興は、まちづくり・産業・雇用・観光・教育等、総合的に考えていくべき問題だと考えております。
…………………………………………………………………………………… 意見を受けての続編
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文●井上良太