立っていられないような激しい揺れが、そうだな、感覚としては5分以上は続いただろうかーー。
東日本大震災の地震の揺れについて、たくさんの経験者が語った言葉。
その言葉は、ぼくたちの記憶の中に刻み込まれていた。
それは、先日の伊予灘の地震で語られたたくさんの言葉の中に「揺れが長く続いて恐ろしかった」という声が数多くあったことからわかる。
「5分以上続いた」という東日本大震災の経験者が語る言葉は、結果的には揺れが収まった後に、揺れが収まった後に実感として語られたものだ。揺れているさなかにある感情、それはーー。
この揺れはいつまで続くのだろうか。収まる様子がないこの揺れが長く長く続いた先に、東日本の時のようなカタストロフが待っているのではないか。
不安の本質。それは誰にも先がわからないということ。地震が収まるかどうかはもちろん、激しく揺れているこの揺れが、1秒先にもっと激しいものになるのではないかという恐怖。不安。
書きながら指が震える。しかし、この不安は東日本を身をもって体験した人たちが、その言葉で伝えてくれたことに基づいている。
たとえ恐怖であっても不安であっても、それをエンジンにして、ぼくたちは災害を減ずることを考えなければならないと思う。
そして、「ずっとつながり続けているんだ」ってことを再確認しつづけていかなければと思う。
地震の揺れの恐怖でつながるなんて言うと、ぶっ飛ばされてしまうかもしれないが、
感じた恐怖や不安をもとにしてでも、
伊予灘を震源とする地震をつないで行くことが大切だと、思う。
文●井上良太