[2月17日という日]地動説を支持したブルーノが火刑に処せられた日

地動説を強烈にプッシュしたジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、ニューヨークで開催された展覧会で20世紀美術の方向性がぐぐっと変わり、日本海軍の南洋の拠点トラック泊地が空襲で壊滅し、ロンドンで渋滞税が導入され、森鴎外とマイケル・ジョーダンが生まれ、モリエールやハイネが亡くなった日。そして書ききれないほどの物語が紡がれた日、2月17日という日。

歴史の中の2月17日

▼1600年 ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられる
ナポリ出身の哲学者、修道士。哲学、神学に幅広い知識を有し、アリストテレスに源を発する当時の自然観、世界観に疑義を唱え続けた。コペルニクスの地動説を支持したことで異端審問にかけられ、自説の撤回を拒んだため、ローマのカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑に処せられた。ほぼ同時代人であるガリレオ・ガリレイが地動説の自説を曲げたのは、ブルーノの影響とも言われる。
ローマ市内で有名な市の立つ広場の中心に、ブルーノのブロンズ像が1966年に建てられている。うつむいた彼の顔はヴァチカンの方向に向けられているという。
ヨハネ・パウロ2世のもと、ブルーノの宗教裁判の再検証が行われ「処刑判決は不当であった」と判断が下されている。

▼1913年 ニューヨークで初の国際美術展アーモリーショー開催
アメリカとヨーロッパの近代美術を併せて紹介する、アメリカ初の国際美術展が開催された。マンハッタンの兵器庫(armory)で開催されたためアーモリーショーと呼ばれる。
ヨーロッパからは19世紀のアングル、ドラクロワ、20世紀の印象派、後期印象派、フォーヴィズムやキュビスム、さらにマルセル・デュシャンといった前衛芸術まで美術史を通観できる作品が集められた。とくにマルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体 No.2」が大論争を引き起こしたことは有名。来場者25万人という展覧会で大々的にヨーロッパ美術が紹介されたことで、アメリカ国内でのヨーロッパ美術収集に火が付いたとも言われる。今日まで続く印象派人気の発端であったとともに、ヨーロッパの前衛がアメリカの美術作家に与えた刺激は大きかった。
現在でもアートフェアとして毎年開催されている。

▼1933年 ニューズウィーク創刊
当初は「News-Week」とハイフンが入った名称だった。

▼1944年 トラック空襲
南太平洋における日本海軍最大の拠点トラック泊地(チューク諸島)は、周囲200kmという世界最大級の堡礁(サンゴ礁が堤防のように発達した地形)で、「日本の真珠湾」とも呼ばれていた。トラックはラバウル方面への中継基地としても重要で、航空機などの各種兵器、弾薬などが大量に置かれていた。アメリカ軍はマリアナ諸島へ兵を進める前哨戦として、2月17日、18日の2日間にわたり、のべ1000機を超える空母艦載機によって飛行場や艦船の攻撃を実施。日本側はラバウルに移送中の新品の零戦100機など270機が破壊され、堡礁内に停泊していた艦船のほとんどを沈められ、海軍根拠地としての機能を完全に喪失した。
アメリカでは「真珠湾の報復を果たした」と言われ、日本では軍幹部の責任問題にも発展した。
トラック空襲で沈んだ船、飛行機などは人気のダイビングスポットになっている。

▼1946年 切替
戦後のインフレに対応するため、3月3日で旧円の高額紙幣の流通を差し止めると通知することで、旧円を銀行に預け入れさせる。さらに2月17日から預金封鎖を行い、世帯あたりひと月の引き出し可能な新円紙幣を制限するという政策が始まった。
前日16日の夕方に発表され、翌日実施ということで大きな混乱があった。

▼2003年 ロンドンで渋滞税導入
ロンドン市中心部の渋滞緩和のためにコンジェスチョン・チャージ(Congestion Charge)が導入される。平日の午前7時から午後6時まで特定エリアに自動車で乗り入れる際に課金される制度。1日の料金は現在10ポンドとかなり高い! しかも未払いの場合には60~187ポンドの罰金になる。
レンタカーでも同様なのでロンドン旅行の際は赤い「C」のマークのことをお忘れなく。

(C)Transport for London

▼2005年 セントレア開港
愛知県常滑市沖の海上に造られた人工島の国際空港「中部国際空港」が開港する。

▼2008年 コソボが独立宣言
セルビア共和国コソボ自治州がコソボ共和国として独立宣言。米英仏独、それに日本など約100カ国が承認しているが、セルビア、中ロなど100カ国ほどは承認していない。

この日が誕生日

◆1796年 シーボルト
ドイツ出身の医師で博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがバイエルン州に生まれる。1823年6月に来日し、出島のオランダ商館の医師となる。出島の外に鳴滝塾を開くとともに、日本の文化や自然を研究した。一時帰国の際に先発した船が遭難し、漂着物から禁制の日本地図を持ち出そうとしたことが発覚。国内の関与者は死罪に、シーボルトは追放となる。ヨーロッパに帰った後は、日本学の祖として活躍した。

◆1837年 ピエール・オーギュスト・コット
木漏れ日の中、若い男女がブランコに乗る姿を描いた「春」、突然の嵐を避けて走る恋人を描いた「嵐」など、ロマンチックな絵画を残したフランスの画家。

◆1862年 森鴎外
石見国津和野に生まれた文学者、陸軍軍医総監(中将相当官)。1884年、22歳の時から約4年間ドイツに留学する。1890年の「舞姫」を皮切りに、「うたかたの記」「文づかひ」とドイツを舞台とした三部作を発表。軍務のかたわら翻訳、評論などの文学活動を続ける。「ヰタ・セクスアリス」「山椒大夫」「高瀬舟」など。

◆1874年 トーマス・ジョン・ワトソン
インターナショナル・ビジネス・マシーンズ社の初代社長。ミシン、NCR社のキャッシュレジスターのセールスマンから、IBMの初代社長になった伝説の経営者。コンピュータ以前はパンチカードシステムの会社だった。

◆1877年 アンドレ・マジノ
フランスの官僚・軍人(第一次大戦に従軍)・政治家(陸軍大臣など)。将来のドイツによる侵攻に備えて、国境地帯に要塞を連続させる「マジノ線」を提唱した。彼自身は竣工を見ることなく亡くなった。第二次大戦でドイツは機動力のある軽戦車や装甲車を中心に、マジノ線を迂回する形でフランス国内に侵攻した。(電撃戦)

◆1901年 梶井基次郎
大阪生まれの小説家。京都の書店の棚にレモンを置いてくるというストーリーで、鬱屈とした現実を打ち破りたいと希う若者の心情を描いた「檸檬」、「櫻の樹の下には」など20篇あまりの短編小説を残し、31歳で没した。

◆1902年 白洲次郎
兵庫県芦屋市出身の実業家、官僚。近衛文麿、吉田茂のブレーンとして活躍した。戦争中は現在の町田市鶴川に購入した農家に疎開(武相二国にまたがることから武相荘:ぶあいそうと名付けたという)、戦後は終戦連絡中央事務局参与、貿易庁初代長官、サンフランシスコ講和会議の全権団顧問など吉田の片腕として働く。吉田退陣後は、東北電力会長など経済界で活躍した。妻は白洲正子。

◆1918年 黒江保彦
鹿児島県出身、日本陸軍飛行隊のパイロット、航空自衛官。航空機の採用審査を行う審査部で編成した飛行隊で試作の二式単座戦闘機「鍾馗」でのビルマ方面進出、加藤隼戦闘隊の中隊長、鹵獲したアメリカのP-51ムスタング戦闘機でB-29と並んで飛行するなど数々の逸話を残した伝説のパイロット。戦後は航空自衛隊でも戦闘機部隊の指揮をとった。

◆1938年 徳田虎雄
アメリカ占領下にあった徳之島出身の医師、政治家。2013年に選挙違反事件に関連して徳洲会理事長を退任した。

◆1963年 マイケル・ジョーダン
バスケットボールの神様とも称されるニューヨーク出身、ノースカロライナ州育ちのバスケットボール選手。一時期MLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミンガムに入団し、メジャーリーグ選手を目指したこともあった。

◆1968年 舞の海秀平
青森県鰺ヶ沢町出身の元大相撲力士。現役時代は技のデパート、平成の牛若丸と呼ばれた。引退後はスポーツキャスター、タレントとして活躍。

◆1981年 パリス・ヒルトン
ヒルトンホテルの創業者一族の令嬢で、モデル、デザイナー、女優など多彩な分野で活躍。

この日亡くなった人たち

・1673年 モリエール
フランスの劇作家。「人間嫌い」「ドン・ジュアン」「いやいやながら医者にされ」「スカパンの悪だくみ」などの喜劇作品を多数残し、喜劇の評価を高めた。フランスのコメディ・フランセーズはモリエールの死後に創設されたが「モリエールの家」とも呼ばれている。

・1856年 ハインリッヒ・ハイネ
デュッセルドルフ生まれのドイツの詩人。「詩集」「歌の本」「シレジアの職工」などを残し、パリに没す。

・1943年 平賀譲(ゆずる)
日本の造船技術者、海軍技術中将(技術部門の最高位)、東京帝国大学十三代総長。小さめの船体に1クラス上の重武装を実現する設計技術は、造船の神様と称えられたが、総トン数の増加は避けられず、船体の強度不足という問題も露呈した。大和級戦艦の基本設計にも携わった。東大総長在職中に病没。

・1955年 坂口安吾(あんご)
新潟県出身の小説家。純文学のみならず、歴史小説、推理小説など幅広いジャンルの作品を著した。戦前から注目されてきたが、戦後1946年に発表した「堕落論」「白痴」「恋をしにいく」「桜の森の満開の下」などの一連の作品でセンセーションを巻き起こす。織田作之助、石川淳、太宰治らと無頼派とも呼ばれた。「夜長姫と耳男」「不連続殺人事件」「安吾捕物帳」など多彩なスタイルの作品を描き続けた。最期は高知への取材の直後倒れ1955年2月17日死去。

・1962年 ブルーノ・ワルター
ドイツ出身の指揮者。ハンブルク歌劇場で上司だったグスタフ・マーラーやモーツァルトを得意とした。フルトヴェングラー、トスカニーニと合わせ「三大巨匠」とも呼ばれる。