【遺構と記憶】がれきがなくなるとは? 2013年12月30日の大槌町

2013年の年末、岩手県大槌町に行った。約1年2カ月ぶりだった。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

上の写真は津波に持って行かれた住宅の跡地。まだ新しそうなコンクリート基礎の天端に、上屋を固定していたはずのボルトだけが残されている。(ここにはどんな家が建っていて、どんな人たちが暮らしていたのだろう……)

2013年の12月11日、震災から2年9カ月となる日、NHKのニュースウェブは被災地のがれき処理について次のように伝えた。

岩手、宮城、福島の3つの県で発生したがれきは、合わせるとおよそ90%が処理を終え、宮城県では今月中に焼却処理が終わる見通しとなりました。

引用元:がれき焼却処理 宮城県は年内終了へ NHKニュース 2013年12月11日 18時32分

さらに続けて、「宮城県と岩手県では、土砂などの津波堆積物も含めて来年3月末までに処理が終わる予定」とも。ちょっと待って!

がれき処理が進むとはどういうことなのか?

がれきの処理が進んでいるというが、現実はどうなのか。
がれき処理が進んでいるとされる現実はこういうことだ。
大槌町赤浜地区の写真をご覧いただきたい。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

道だけが残る町の中には、津波石のような巨岩のほかには、たしかに目につくような大きながれきはほとんどない。しかし、防波堤の向こうに船が。まさか、乗り上げた船がまだ残されいるのか……。

大型の漁船が防波堤を突き破っているよう見えたのは目の錯覚だった。漁船は港に引き上げられて修理中の模様。

たしかに気仙沼の第18共徳丸を最後に、大型船はすべて撤去されたはずだったと胸をなでおろした。しかし、「もしかしたら、まだ」と思わされてしまうような光景が、堤防の上から陸地側には広がっている。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

赤浜地区はかつて大槌駅があった場所からクルマで10分ほど、岬の先端方向に行った場所。大きな集落ではないが、漁港や東京大学の国際沿岸海洋研究センターがあったところだ。防波堤近くの平場には、コンクリートの基礎以外なにも残っていない。少し高台にある頑丈な建物には、津波浸水で破壊された痕が痛々しく残る。無傷の建物に出会うには坂道をかなり上っていかなければならない。この状況、たとえば1年前と比べてどんな変化があったというのだろうか。

防波堤の設備はほとんど何の手当も施されていない。破壊された当時のままだ。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

防波堤から降りると足元に、かつてザルだったらしき物がぺったんこに潰されて転がっていた。津波被害を受けた町から大きながれきが撤去された後には、なぜか鍋やフライパン、排水溝のごみ受けなど、台所回りの品々がたくさん散乱していたのを思い出す。目の前にある光景と時計のカレンダーが大きく食い違っている感覚。2年近く時間が止まったままなのではないか?

漁港近くの橋は仮設のままだ。土嚢はすでに苔むしている。紫外線や潮風で劣化して土嚢の袋が破れたら、橋そのものの安全性が損なわれてしまうだろう。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

この区画はコンクリート基礎も撤去され、整地も行われた様子だったが、砂まじりの土からは瓦や布団ばさみ、何かのパッキングなどが顔をのぞかせている。

さらに、高校卒業を記念してクラスで作ったものだろう、クラス名、担任や生徒の名前がプリントされたマグカップが、ほぼ無傷の状態で近くに置かれていた。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

小さなバネばかりだが、目盛を見ると5キロまで計れるものだ。おそらく漁港か魚屋さんで使われていたものだろう。魚を計ったのか、貝を計ったのか。卸で買う時に使ったのか、お客さんに売るときに使われたものなのか。

きっとおしゃれな家だったことだろう。玄関先のポーチだけが残されている。自分が暮らす家がもしも……。そう思えるかどうかは、人それぞれかもしれないが、手前の側溝の溝蓋に注目してほしい。2枚だけ新しい溝蓋が補われている。真に復興が進んだ結果として、目に見えるものは、この2枚の溝蓋だ。

できるだけ本稿では、ワタクシごとは書くまいと思ったが、この2枚の新しい溝蓋を見たときには、その背景にあるストーリーを思って泣いた。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

町の中には激しく破壊された状態のまま残されている建物もある。中には漁網や大型の浮きが乱雑に置かれていた。漁具の倉庫代わりに使われているのかもしれない。

大槌町赤浜地区 2013年12月30日

遠く、坂道の上の方にも外壁が壊された建物が残る。その手前、今は更地になった場所にもかつては家が立ち並んでいたはず。食器や台所道具や洗濯バサミ、学校の道具、アルバム、賞状、運動靴……。ありとあらゆる身の回りの品々が、それぞれの家にあったことだろう。そう、バネばかりだって。

がれきは、がれきではない。かつて人の生活とともにあった被災物だ。

がれきがなくなるとは。

ニュースが伝えるように「90%なくなった」とか「年度内に終わる予定」と聞くと、被災地の復興が大きく進展しているかのように聞こえてしまう。

しかし、がれきが山積する場所で生活を再建することはできない。たとえそれが思い出の詰まった被災物であったとしても、仕分けと処分を行わなければ、再建は前に向かって動き出さない。

がれきの処理が進んで、かさ上げなどの工事も進捗して「ここに家を建てられますよ」となった時点で、ようやくプラスマイナスゼロなのだということを忘れてはならないと思う。(それすら、目に見える形の上でのことだけで、長期の避難生活の末、貯金を目減りさせざるを得なかった方がたが、これからどうやって再建するのかということに思いを致すと、プラマイゼロなんてとんでもない!)