歴史の中の1月22日
▼646年 大化改新の詔(大化2年1月1日:旧暦)
前年7月10日(旧暦6月12日)飛鳥板蓋宮において蘇我入鹿を刺殺したクーデタ(乙巳の変)で発足した新政権が、新たな支配体制を詔として発布した。教科書に載っている公地公民制、租庸調の税制、班田収授法の確立は疑問視されているが、はじめて元号が制定されるなど、大きな変革が行われたことは間違いない。
▼1890年 防護巡洋艦「松島」がフランスで進水
ドイツで建造された最新鋭装甲艦、定遠・鎮遠が清国海軍に装備されたのを受けて、日本海軍は艦型は小さいながらも定遠の主砲より大きな32センチ砲を1門搭載(定遠級は30.5センチ砲を各4門)する巡洋艦3艦の建造を開始。日清戦争勃発から4年半前のこの日、クラスのネームシップとして松島がフランスの造船所で進水した。姉妹艦は厳島と橋立。日本三景から名付けられたこのクラスは、国民から三景艦と呼ばれ、日清戦争での海戦の主力として期待されたが、小さな艦に積み込んだ巨砲は命中精度が悪かったのに対して、副砲として搭載した速射砲による戦果は世界的に注目されたという。
▼1901年 ヴィクトリア女王死去
イギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王ヴィクトリアが死去。在位期間は大英帝国が世界的な植民地帝国を築いた時期にあたり、文化芸術はもとより、政治や軍事に関しても「Victorian~」と形容される時代だった。在位は1837年から60年以上に及ぶ。
▼1905年 血の日曜日事件
ユリウス暦の1月9日、ロシアの首都サンクトペテルブルクで発生した市民弾圧事件。日露戦争中止、憲法制定、貧困の改善を求め、神父に先導されて請願行進していた市民に軍が発砲。1,000人以上が死傷したとされる。ロシア革命につながる全国規模の反政府運動の端緒となった。
▼1916年 飛行船の日。国産初の飛行船「雄飛」が試験飛行
陸軍により開発が進められていた日本初の飛行船が所沢で完成。大坂への試験飛行が行われた。その後4月21日付で「航空船一隻新ニ成ヲ告グ。乃チ「雄飛」ト命名ス」との命名書が、陸軍大臣・海軍大臣連名で発せられた。
所沢には雄飛初飛行を記念してて創製された和菓子「雄飛焼」(その年に「帝國優良品大審査会壱等賞金牌」を受賞)がいま受け継がれている。(有限会社梅月)
▼1941年 人口政策確立要綱が閣議決定
厚生省が中心となって研究中の人口政策が閣議決定される。昭和35年に内地人口1億人を目指すとした。
要綱には「人口ノ永遠ノ発展性ヲ確保」「増殖力及資質ニ於テ他国ヲ凌駕」といった言葉が並ぶが、その目的は「高度国防国家ニ於ケル兵力及労力ノ必要ヲ確保」することであり、「東亜共栄圏ヲ建設シテ其ノ悠久ニシテ健全ナル発展ヲ図ル」ことだった。
日本の人口は昭和45年(1970年)の国勢調査で103,720,060人となり1億人を突破している。
▼1941年 トブルク要塞が陥落
ムッソリーニの野望で始まった在リビア・イタリア軍によるエジプト侵攻に対して、イギリス軍が反攻。リビア東部のトブルク要塞を落とす。この敗北の後イタリア軍は敗走を続け、ムッソリーニはヒトラーに支援を要請。エルヴィン・ロンメルを司令官とする「ドイツ・アフリカ軍団」が派兵されることになる。
▼1970年 ジャンボジェットが就航
いまはなきパンアメリカン航空がボーイング社に依頼したことから開発されたボーイング747「ジャンボジェット」がニューヨーク・ロンドン線に就航。従来の旅客機の2倍以上の客席数は、航空運賃のプライスダウンにも寄与したと言われる。
▼1980年 ソ連の物理学者サハロフが流刑に
「水爆の父」とも呼ばれるも、1970年代から民主化を求める発言を続けノーベル平和賞を受賞した物理学者アンドレイ・サハロフが、ソ連のアフガニスタン侵攻を批判したかどでブレジネフ書記長によって閉鎖都市ゴーリキーに流刑された。(1986年ゴルバチョフにより流刑解除)
▼1990年 東京・御徒町の春日通で道路陥没
東北・上越新幹線の東京駅乗り入れのための工事が進められていた御徒町駅ガード下で、春日通が大規模陥没する事故。交通の多い場所に突然10メートル以上の大穴があく事故だったが、自動車やバイク4台が穴に落ちたものの死者は出なかった。事故直後は警察や消防、見物人で現場は騒然としていたが、翌日には仮復旧が完了していた。
この日が誕生日
◆1788年 バイロン
イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン。ロマン派を代表する詩人で恋多き人だったがギリシャ独立戦争で熱病に倒れ死去(1824年4月19日)。
◆1793年 大塩平八郎
江戸後期の大坂町奉行所の与力。天保大飢饉のさなかに大阪から江戸への廻米を強行する奉行に対して、民衆とともに蜂起するが密告により半日で鎮圧されてしまう(大塩平八郎の乱:天保8年 1837年)。蜂起は失敗するが、幕府役人が天下の台所大坂で反乱を起こしたことは、全国に大きな衝撃を与えた。
◆1849年 ストリンドベリ
スウェーデンの作家、劇作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ。「一人舞台」(森鴎外訳)、「真夏の夢」(有島武郎訳)など日本でも盛んに紹介された。芥川龍之介の作品にも彼の名は登場する。
◆1872年 田山花袋
館林市出身の小説家。この作品によって、日本の自然主義文学の方向が決まったとwikipediaに記された「布団」、「田舎教師」など。
◆1875年 グリフィス
アメリカの映画監督デイヴィッド・ウォーク・グリフィス。「イントレランス」「散り行く花」など。映画の父と呼ばれた。
◆1891年 モイズ・キスリング
ポーランド出身の画家。エコル・ド・パリを代表するひとり。エナメルのような仕上がりと静謐な空気感を示す人物像を多く描いた。
◆1905年 椋鳩十
長野県出身の小説家。「片耳の大鹿」「大造じいさんと雁」「大空に生きる」など動物をテーマにした作品を多く残した。
◆1928年 網野善彦
山梨県出身の歴史学者。中世の職人、芸能の民、漂白民について民俗学的な研究を行った。
◆1930年 松平康隆
1965年に全日本男子バレーボールチーム同監督に就任し、メキシコで銀、ミュンヘンで悲願の金メダルを獲得した。監督退任後はVリーグ発足などバレーボールの普及に尽力。2011年12月31日死去。
◆1939年 湯川れい子
音楽評論家、作詞家、翻訳家。
◆1947年 星野仙一
岡山県出身のプロ野球選手・指導者。投手としては通算14年で146勝(121敗)、うち35勝は対巨人戦であげた。引退後は中日、阪神、北京五輪と監督をつとめ、2011年のシーズンから東北楽天ゴールデンイーグルス監督。2013年、球団初のリーグ優勝と日本シリーズ制覇を達成。
◆1949年 スティーヴ・ペリー
アメリカの歌手、ロックバンドジャーニーの元ヴォーカル。
◆1963年 皆川おさむ
元歌手、元子役。1969年の「黒ネコのタンゴ」はオリコン14週連続1位、シングル200万枚を売り上げる大ヒット。
◆1965年 ダイアン・レイン
ニューヨーク出身の女優。「リトル・ロマンス」で映画デビュー。80年代前半は時代を代表する女優と目されるもその後低迷。2002年の「運命の女」ではアカデミー賞主演女優賞やゴールデングローブ賞の候補に。
◆1977年 中田英寿
元サッカー日本代表。
この日亡くなった人たち
・1666年 シャー・ジャハーン
ムガール帝国の第5代皇帝。愛妃ムムターズ・マハルの死を悼み20年の歳月をかけてタージ・マハルを建設する。
・1968年 デューク・カハナモク
ハワイ出身のサーファー、ストックホルム五輪・アアントワープ五輪の水泳100メートル自由形金メダリスト。サーフィンとアロハシャツ、そしてアロハの文化と精神を全世界に広めた。ワイキキのカラカウア通り、ハイアット・リージェンシーの前にロングボードを背にしたカハナモクの像がある。
・1973年 リンドン・ジョンソン
ケネディ大統領暗殺を受けて第36代大統領に就任。貧困撲滅と公民権確立を目指しリベラル色の強い政策を行うも、対外的にはベトナム戦争を拡大させ激しい反戦運動にさらされることになった。
・1976年 大久保清
連続殺人犯。画家を装い若い女性8人を暴行殺害し遺体を山中に埋めた。1976年死刑執行。
・1993年 阿部公房
東京生まれ満州育ちの小説家、戯曲家、演出家。「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞。「砂の女」「他人の顔」「箱男」「方舟さくら丸」「カンガルー・ノート」など前衛的な作品を多数著した。