もう誰にもあんなこと経験してほしくないんだ

「私たちが経験したことを、もう誰にも経験してほしくないんだ」

あたまが真っ白になった。ついさっきまで料理の話とか石巻のイベントの予定とか話していたんだよ。

どうしてそんな話になったのか覚えていないくらい自然に、その言葉はぼくのところにやってきた。でも、その直後にたくさんお客さんが入ってきて、続きはまた今度ねってことになったんだけど。

それは今年の夏の石巻でのこと。ぼくは行きつけの「日和キッチン」にいた。行きつけなんて言うと、もっと頻繁に通ってる人に叱られちゃうかもしれないけど。行くたびに日和キッチンのメニューは増えていく。もともとは深夜バスで石巻入りする人たちに便利なように土日早朝から営業していて、石巻の地元料理とジビエ料理を楽しませてくれるってコンセプトに惚れ込んだのだが、オープン後少したってから営業時間や曜日は拡張されるわ、メニューは増強されるわ、女子会etc.のイベントは開催されるわ、グッドデザインに選ばれるわ(これは少し経ってからだったか)、もちろん元々とっても重要な要素だった「そこに行けば石巻の最新情報が教えてもらえる」ってことは変わることなく、要するにグレードアップの一途をたどっていたんだ。

その日は何度目だったんだろう。3回目か4回目の来店で、はじめてお会いするスタッフの方がいた。

日和キッチンでは建築家の天野さん、デザイナーで絵描きの山崎さん、そして地元のお母さん兼石巻の情報通の菊田さんの三人とは面識があったんだが、夏のその日出会ったのは笑顔いっぱいで、話しているだけで自然とこっちまでにっこりしちゃうような人。

「あら初めてだった? こちら清美さん。ベーカリー担当。志津川のご出身なのよ」

って菊田さんから紹介していただく前から、初対面とは思えないくらい「当たり前」な感じで話し込んだりしていた。「このお店の『ひまちゃん』(近くのリーガルショップのひろ子さんの物語を絵本にしたもの)、たぶん一番活躍してるひまちゃんかもね」とか。平日も開店するようになってよかったね。うん、スタッフも増えたしねとか。そういえば、パンの種類も増えたよね。実はけっこう買って行ってホテルで頂いたりしてるんですよ。

あぁ、そんな話から菊田さんが清美さんのことを紹介してくれたんだと、いまさら理解してしまうくらい自然に、話は進んでいた。

以前から面識のあった方々だけでも、日和キッチンの店内は華やいでいたんだけど、清美さんのさりげないおしゃべりは、白と黄色と自然な木目調が調和した日和キッチンをさらに明るくしているように感じていた。

「私たちが経験したことを、もう誰にも経験してほしくないんだ」

清美さんのご出身の志津川というのは、南三陸町の中心地。防災庁舎があった場所。と言えばあの景色を思い出してもらえるだろうか。

ようやくあたまが働きだした瞬間、了解したこと。俺たちは忘れたりなんかしちゃいけないんだということだ。

忘れて行くということが人間の前向きな能力のひとつであることは否定しない。だからこそ、ぼくたちは、努めて思い起こし続けて行かなくっちゃならぬ。風化なんかさせちゃいかんのだ。

「私たちが経験したことを、もう誰にも経験してほしくないんだ」

ぼくたちの友人がそう言うんだ。俺たち、その言葉に何を返すの?

あの惨状を繰り返さないために何かひとつでも始めたことあったっけ? 震災遺構を残すか残さないか以前に話し合わなければならないことあるんじゃないか、深く、深く、深く。防潮堤の問題が再建の足枷になっていること、それって他人事なの? 原発再稼働へ向けての「踏ん張りどころ」っていったい何なの、それ?

被災地(あえて言いますが)に行って、たくさん知り合って、話をして、友だちをつくっていくことって、そんなつながりを一個、一個、いっこ、いっこ、増やして行くことじゃないかな。

ぼくたち、できること、きっとある。
俺たち、やらなければならぬこと、いっぱいある。
被災地の人たちために。そして、被災地の人たちを含めた俺たちみんな1人ひとり、
日本中の全員のために!

●TEXT+PHOTO:井上良太