息子へ。東北からの手紙(2013年8月29日)

夏休みも最終盤! 石巻市門脇(かどのわき)の「がんばろう!石巻」の看板で

また会ってしまった。
「がんばろう!石巻」の看板を設置した黒澤さんに。看板が設置されたあの場所で。

石巻の知り合いの中には、「せめて電話くらいしてから来なさい」とニコニコ笑顔でたしなめてくれる大人な人たちもいる。もちろん社会常識的には、伺う前に連絡を入れておくべきだろう。それは分かる。分かるがそれでも、連絡なしで訪ねて行った先で偶然出会えたりすると、

うれしい。

駅前のリーガルショップや日和キッチン、電器屋さんのパナックけいていみたいに、行けばかなりのパーセンテージで出会える場所であっても、うれしい。

「あれ、いつから来てたの?」

と言ってもらえるのが、無性にうれしい。
挨拶もそこそこに、「知ってた? ○○の◇◇のところでね・・」と、町のことをいろいろ教えてもらえたりするのも、やっぱりうれしい。

なぜだろうね。相手の人たちが日常的に過ごしている場所をぶらっと訪れるのって、

―― 事前にアポとって、約束した訪問時間の15分前には現場近くまで行っておいて(余裕を持ってと言われる行動)、5分前にドアをノックして、「このたびはご多忙のところ恐縮です」なんて言いながら名刺交換して ――

というビジネスっぽいのとはまったく別物の関わりが築けそうな気がする。
(もちろんだらしないのはダメだけど)、人には「ふさわしい会い方」や「その人にぴったりの場所」というのがたしかにある。

「その人にぴったりの場所」ということで言えば、黒澤さんの場合、「がんばろう!石巻」の看板をおいてほかにない。

「ふさわしい会い方」を考えてみても、やはりこうなるだろう。
看板や献花台、ランプや音声ガイダンスの点検のために、毎日仕事の合間に何度か看板までやってくる黒澤さんに、現地で偶然ばったり! という出会い方だ。

川開き祭りの朝に続いて、約1か月後のこの日も、そんな幸運なかたちで黒澤さんに出会うことができた。それだけで、うれしかった。

突然の「剛速球」

黒澤さんとのお喋りはおもしろい。
喋って楽しいということに加え、独特の緊張感があって興味深い。

「・・って知ってますよね? あれってどう思います?」

お喋りのキャッチボールで言葉を投げ合っていると、ときどきそんなナイフのように鋭い言葉だったり、導火線に火が付いた爆弾みたいなのがぽーんと投げられてくる。

「うわっ、ヤラレタ―」とか「何とか持ちこたえたゾ」を繰り返しながらお喋りは進んでいく。

この日も震災の木片を種火に灯し続けている灯火の話をしていたのが、いつの間にか国際政治の話になって、そのうち再び音声ガイダンスの話に戻ったりしていた。

そんな中で黒澤さんが突然、

「USTREAM、できるでしょ」と、

まるでジャイロボールみたいな、
これまで見たこともない剛速球が投げ込まれた。びっくりした。

会話の前後の流れはこんな感じだ。

看板そばに設置された音声ガイダンスには、震災を経験した人の言葉などたくさんのコンテンツが格納されている。

看板を訪れた人が、ガイダンスを聞いてくれるのはありがたい。

経験した本人の生の言葉が聞けるところがいい。

語り部活動とかも大切だけど、お話しのプロじゃないふつうの人が語ってくれるところに、リアルを感じる。

(そんな流れの中)
ジャイロボールが唸りを上げて投じられてきた。ビシーッと。

月1回、日にちを決めて現地の人の声をUSTREAMで発信するんです。いいアイデアだと思いませんか?

ほんとはもっと頻繁にやりたいけど、最初は月1でも。それなら来られるでしょ。きっと取り上げたい人もきっといっぱいいるだろうし。

月1だったら1年分くらい、この場ですぐにリスト出せますね。

スタジオはショールームの2階を使えばいいし。

トントンと進み始める言葉に、深く深くうなずいた。最初こそ球スジのすごさに驚いたが、話すほどに黒澤さんのプランに「なるほど」が積み重ねられていく。

そういえば――、と思い出した。
初めて会った時、東北以外の人たちの関心の高さについて黒澤さんに質問されたのを。

たしか父さんは、お前の友だちのお母さん、Iくんママから聞いた話を伝えたように記憶している。
それは2011年の夏、震災から数カ月しか経っていない頃のこと。
子育て支援活動のファシリテーター育成講座みたいな場でIくんママが、「広告の紙で折り紙のお皿を作って、ラップを貼ったものを食器として使ってみましょう」と実演していたら、参加していたお母さんたちから、「なぜそんなことが必要なのか分からない!」と非難する声が上がった。「食べにくいし、第一不潔だし」みたいな。
震災直後の避難所での話をいくら力説しても、参加していた人たちは「そんなことあったけ?」といった反応だったそうだ。

「やっぱりそんなですか。こっちにいると、外の人たちがどのように見ているのか、なかなか分かりにくくて。テレビの全国放送の内容を見て、どんな状況なのか薄々は想像していましたが」

その時、肩を落とした黒澤さんの表情はたまらなかった。

夏休みの宿題、見つけた!

空が晴れたらもっとキレイなんだけど。花に水をあげているのが黒澤さん

「がんばろう!石巻」の看板は「震災で津波に負けたくない、地域の人を励ましたい」という思いから設立された。震災後、どこから手を付けていいのかわからず、呆然としていた人々を励ますために震災1カ月後に建てられた。

それから多くの人々が「がんばろう!石巻」の看板を訪れるようになった。犠牲者を悼むための公的な場がないことから、看板に花を手向ける人々も多い。黒澤さんたちは献花台を追加で設置した。

震災の記憶をずっと伝えていく目的で、被災地に残された瓦礫を集め、種火を起こし、その灯を未来へ伝え続ける「灯火」を設置した。

被災地視察で訪れる人たちに、津波を少しでも実感してもらえるようにと、現場での津波到達高さを示すポールも設置した。

春には鯉のぼり、夏はヒマワリ、川開き祭りの頃には七夕飾りを設置して、地元の人たちにエールを送るとともに、震災の記憶を少しでも多くの人たちに伝えていこうと活動を続けている。

そんな活動のベースがあっての上の、

USTREAMだ。

震災を経験し、今も被災した地で生きている人たちの声を、しっかり伝えていく。
ネットだからね、日本中、世界中に伝えていくことができる。

近い将来には、「おばあちゃんの知恵袋」とか「おじいちゃんの世直し大作戦」とか、「朝からお茶っこ中継」などベタでローカルな、しかし根底に未来志向な社会変革意識が流れているコンテンツを打ち出したいと思っている。

黒澤さんから差しのべられた手を、父さんは強く握り返して握手した。

それをやる。