青春18きっぷを手にすると、どれだけ電車に乗っていても平気になってしまう。
--------------------------------------------------------------------------------------- ■青春18きっぷ
・JR北海道からJR九州まで、すべてのJRの普通列車が乗り放題になる。
(特急列車は不可)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・使用期間は大まかに春、夏、冬。学生の休暇時期と重なるように設定される。
・5枚つづり11,500円で販売されるため、1日あたり2,300円で乗り放題。
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岐阜県御嵩町、ユタカ精肉店にいこう!
1時20分。伊勢市を出発した僕は、そのまま名古屋方面へ向かう。
【まっすぐ帰った場合】 【のんびり帰った場合】
11:20 伊勢市駅 11:20 伊勢市駅
↓ (電車で約1時間40分) ↓ ↑
13:04 名古屋駅 XX:XX 名古屋駅 (★約5時間の自由時間)
↓ (電車で約4時間20分) ↓ ↓
17:28 三島駅 22:38 三島駅
自宅のある三島へ帰るには名古屋を経由しなくてはならないが、今から素直に帰宅すれば、18時には家に到着する計算だ。普通の日ならそれでも良い。しかし、今手元には青春18きっぷがあるのだ。日付が変わるまで乗り降り自由の魔法の切符は、僕にとってのシンデレラである。三島には22時38分の電車で戻ればいい。だとすれば、まだ約5時間も自由に使えるわけだ。
では、この約5時間をどう使うか。これに関してはすぐに決まった。
「よし、岐阜へ行こう」
岐阜と言っても御嵩町(みたけちょう)という、岐阜県南部の山の方。まず、伊勢市から名古屋まで行って名古屋で乗り換え、さらに数時間ほど電車に揺られて可児駅(かにえき)という駅まで行く。そして、その可児駅のすぐ近くに、新可児駅という名古屋鉄道(名鉄)の駅があるので、それに乗り換える。
はっきり言って、遠い。その日のうちに静岡・三島駅まで帰ることを思えば完全な遠回りだ。しかし、それでも良いのである。わざわざそんな御嵩町に行こうと決めた、僕の目的はただひとつ。
「ユタカ精肉店」という揚げ物屋さんのコロッケを食べること。
―――このユタカ精肉店。ちょっと素敵なエピソードがありまして……。
3年前に亡くなった先代の店主・森島豊さんが、地元・東濃高校の生徒たちへの檄として「テストで80点以上取ったらコロッケ1個進呈」という企画を続けていた。と言うのも、東濃高校の先生が「うちの生徒たちは勉強をしない」と嘆いていたのを聞いてのこと。ご自身は若い頃に太平洋戦争を経験。若くして散っていった仲間を思えば、地元の子供たちが可愛くて仕方がなかったのだそう。その後、テストの時期になると、夕方頃、生徒たちがユタカ精肉店を訪れ、テストの答案を見せに来るようになった。
……という、ほのぼのストーリー。5年ほど前、このお話が朝日新聞の夕刊に掲載され、ちょっとしたブームが起きたのだ。そのエピソードから「80点コロッケ」とも呼ばれ、今も親しまれている。
当時、大学生として就活を控えていた僕も、この記事には心打たれた。学生時分は実家のある兵庫に住んでいたが、店主・森島豊さんのお人柄の垣間見えるこのコロッケをどうしても食べたいがため、電車を乗り継いでこの岐阜県御嵩町まで行ったこともあった。
残念ながら、その日は会えることなく、その少し後に、先代はお亡くなりになったと聞いた。現在は遺志を継いだ娘さん、お孫さんの2人が、営業を続けている。僕はその後も何度か訪れ、コロッケを買っているのだ。
コロッケのほかにも、ハムフライ、メンチカツ、から揚げなど色々あり、どれもオーダー後に揚げてくれるものだからアツアツの揚げたて。それだけなら普通かも知れないが、値段は1個40円とお手頃価格。そしてこれがまたとにかく旨い。
僕がここを初めて訪れたとき、「コロッケもきっと優しい味なのだろう」と思って行ったのだが、これは良い意味で裏切られた。こしょうベースの味付けで、かなりスパイシー。80過ぎまで生きた店主からは想像できないほど、刺激的な味。
だからと言って、好き嫌いが分かれるかと言えばそうでもなく、静かな町にも関わらず、ユタカ精肉店の軒先だけはいつも賑やか。地元の人たちが、のんびり会話を楽しみながら揚がるのを待つ。それも20個や30個といった大口注文が多く、きっと持ち帰って家族で食べるのだろうなと想像がつく。この光景は、僕にとってすっかりお馴染みだった。
よし、伊勢神宮で神頼みを済ませたなら、次はコロッケに檄を入れてもらおう。80点の答案は持ってないけれど。
―――と、思い出にふけりながらそんなことを考えつつ、岐阜県・御嵩駅を目指す。昨日の嫌なことも、景色を眺めていると薄れていく。
田園風景が広がっていた三重の景色は、名古屋に近づくにつれて大きなビルが立ち並び始める。名古屋で中央本線に乗り換え、今度は市街地を進む。一時は、8両編成の電車が座れないほどに混みあったが、それも徐々に減り始める。電車が渓谷沿いを走るころには、あれだけ混んでいた車内に僕ともう一人の男性しかいなくなっていた。
ほどなく多治見駅に到着。8両編成の電車から2両編成の気動車に乗り換え、太多線(たいたせん)へ。御嶽駅までの行きかたは複数パターンあるが、この太多線に乗るのは初めて。それでも、遠目には山が見え、線路沿いには3~5階建てのマンションが立ち並ぶ景色は、どことなく見覚えがあるような気がする。いよいよ近づいてきた。
JR可児駅から名鉄線に乗り換え、御嵩駅に着いた。降りたら運転士にそのまま乗車券を渡し、ようやく本当に見覚えのある景色だ。朝11時20分に伊勢市駅を出発して約4時間。ここで1時間30分ほど過ごして、自宅最寄りの静岡・三島駅へ戻る。
【 三重・伊勢市 ~ 岐阜・御嵩 ~ 静岡・三島 】
11:20 伊勢市駅
↓ (電車で約3時間20分)
15:14 可児駅
↓ (電車で約10分)
15:25 名鉄・御嵩駅
↑
(1時間30分の空き時間)
↓
16:59 名鉄・御嵩駅
↓ (電車で約10分)
17:16 可児駅
↓ (電車で約5時間)
22:38 三島駅
「遠いところからありがとね~」
古くは中山道の宿場町として機能していたという御嵩町。観光地として強く推されている雰囲気はないが、ところどころで宿場町を思わせるレトロな街並みが印象的だ。ただ駅前周辺はやや閑散としており、道路を歩いていても人に出会わない。件のユタカ精肉店は、駅前から伸びる通りをまっすぐ進み、目前に郵便局が見える交差点を右手に曲がった住宅地の中にある。
素敵なエピソードのあるユタカ精肉店。この日も、お店の前の広い道路の脇に車が並んでいる。先客が既に何人かいるようだ。
覗き込むように店の前へ行くと、「あー、お兄さん!」と奥さんが気づいてくれた。亡くなった先代の娘にあたる奥さん。今日もコロッケを揚げている。僕がここを訪れるのは今回で4度目。毎日いろんなお客さんの相手をしているだろうに、きちんと覚えてくれているのが嬉しい。
「また静岡から?遠いところからありがとね~」
中部地方独特のイントネーションでお礼を言ってくれた。
「このお兄さん、いつも静岡から来てくださるの。ウチで一番遠いお客さん」
と、地元の方々にまで紹介。もちろん悪い気はしないけど、なんかこっぱずかしい。揚がるのを待っていた地元のおじさんが「なんで御嵩のコロッケ屋なんか知っているんだ?」と聞くので、先代の新聞記事の話をする。すると、話題はこのお店の昔話に変わっていった。
「昔はコロッケ10円とかだったなぁ。当時の感覚だと今ほど“安い!”って感じじゃなかったんだよ」
「そうそう。当時はハムフライが画期的だったんだよ。一番高かったし」
「もう30年か40年も前か?昔は肉も売ってたんだよな」
「当たり前じゃない。精肉店なんだから」
「それにしても、あの人は喋るのが好きだったよね~。なんだかんだと。胃を全摘してるから体力無かったのに、いつも無理しちゃって」
「もうここのコロッケと、とんちゃんは御嵩の名物だな」
(へぇ、とんちゃんってのもあるんだ……)
そんな話を耳で聞きながら、僕もオーダーを考える。地元客のような大口注文は出来ないが、せっかく来たのだからたくさん買って帰りたい。揚げ物を選ぶだけのことが、なんだかとても悩ましい。
コロッケは揚げたてで2個食べる。車内で小腹が減ってさらに2個。でも、4個じゃ足りない気がする。揚げ物だし明日食べても大丈夫かな?ハムフライは……、から揚げは……、「あっ、メンチカツはありますか?ない?売り切れ!あちゃー……」じゃあ……。
「わざわざ遠くから来たんだから、ここで買いすぎたらお金もったいないよ?」
「いやぁ、せっかくだからいっぱい買いますよ」
そうそう、これも青春18きっぷの大好きな点。移動や宿泊ではとにかく安く済ませたい僕だが、一方で“安くて美味いご当地モノ”は、ためらいなくじゃんじゃん買う。移動は電車かバスか徒歩、宿はホテルではなくネットカフェでいい。
こうして「浮かせたお金で美味いものに出会う」。
このお得感が僕にはたまらないのだ。
コロッケ5個、ハムフライ3個、ササミフライ2本、から揚げ100g。これで650円!
揚げたてを白い紙袋に詰め、手渡してくれた。そして、それとは別に食べ歩き用のコロッケまでサービス。「遠くからありがとね~」。ありがたいのは僕の方です。
「これから静岡まで?」
「はい、5時間くらい電車に乗りっぱなしです」
「5時間~~~」
なんて会話を交わしつつも、お客さんは続々やってくる。お礼を告げて店をあとにした。