ガレキと呼ばないで(富岡町の町なかで見たもの)

がらんとした住宅造成地の真新しい道の先に、ガレキの仮置き場がありました。
富岡町は、今年の3月まで警戒区域として立入が厳しく制限されてきたため、被災した建物やクルマなどの撤去はまだほとんど手付かずです。

津波の被害を受けた建物が点在するだけの平面的な空間には人の気配がありません。
ただ上空で舞う雲雀が、近づく人に縄張りを主張するかのように警戒の声をあげるばかりです。

この地区で唯一見かけた人は、作業着にマスクと不織布の帽子を被っていました。
仮置き場には、柱や建材などかつて住宅だった被災物や、線路のフェンスや信号、電柱など交通関係の設備だった被災物などが主に集められていました。
道をふさいでいたものだけを、急いで集めたといった感じの仮置き場でした。
そんな一角に、新たに放棄されたのか、道路にあふれていて片付けられたものなのか判然としない、ゴミ袋に入れられたものもありました。

中央の袋の中身はテニスボールです。
左手にはバスケットも見えます。

テニスボールがこの場所に放置されるに至ったストーリーはいったいどんなものだったのでしょうか。

大きな被災物もあります。
この建設機械はタイヤローラー。舗装工事でアスファルトを平らに均すための建機です。きっとこの辺りの道路工事を行った「はたらくクルマ」の1台なのでしょう。

型番を調べてカタログに当たってみたところ、運転重量13トンと記載されていました。ボディーに刻まれた平行線のようなキズから想像すると、13トンの建機は津波で横倒しにされて、斜めに引きずられたようです。

この辺りの津波水位は近くにある電柱の折れた部分より高かったと思われます。

駅の近くでは、真ん中より上で折れてしまった電柱が何本も見られました。
根本近くから座屈して、鉄筋がむき出しになったものもたくさんありました。
そして、電線やガイシ、スチールのバンドやトランスなど電柱に装荷されていたものが取り外されて、集められている場所もありました。

こんな被災物もありました。こちらも大きな被災物です。

プールのように見えるのは建物の基礎としてコンクリートを打設するための型枠。それも作りかけのもの。

ウレタン塗装のパネルで外枠を組み終わって、配置した鉄筋を挟み込むように基礎コン枠を組み立てようかというところで、地震と津波と原発事故によって工事が中断したもののようです。もしかしたら、津波が引いた後、スチール製の型枠だけが持ち出されたのかもしれません。

鉄筋やボイド(コンクリートを打設した後に、パイプなどを通す孔になるように、型枠に配しておく紙製の筒)の配置から、集合住宅だったようです。

この場所で工事が再開されるかどうかはわかりませんが、2年の歳月で錆びてしまった鉄筋はたぶんもう使えないでしょう。全てバラしてからでないと再建できないかもしれません。

それにしても、合板の枠だけでプールのように水を溜めるとは、そうとう腕の良い職人による施工です。

何かが、あるべきではない場所にあるのも、津波の被災物の特徴かもしれません。

左は防虫剤。上の型枠プールの近くの路上に落ちていました。誰かの部屋のタンスに掛けられていたものが流れ着いたものです。
津波が窓を破り、部屋の中を滅茶苦茶にし、タンスに掛けられていた衣装と一緒に防虫剤をタンスから引きずり出し、さらに津波の怒涛で満たされた町へ。やがて洋服や部屋の中にあった物とははぐれて、あれから2年4カ月近くたったいま、この場所にあるのです。

経緯を想像すると、物の見え方が変わるでしょう?

歯ブラシは富岡駅のホーム、敷石が剥がれたところにありました。いったいどこからやってきたのでしょう?

キャリーケースは駅前商店街の一角、茂みになった場所にひっそりと、しかし、いますぐにでも旅立てそうな顔つきで立っていました。

駅前商店街の美容院の割れたガラス窓の向こうに、細かい泥が付着したカセットテープが置かれていました。

この中の何本かでも、持ち主にとって思い出深いテープが再生可能になるような奇跡が起こってくれないものかしら。

上の2枚は富岡町で撮影したものではありません。隣の楢葉町、竜田駅前です。
ポストはシートでぐるぐる巻き。駅舎はベニヤ板で入り口がふさがれています。

常磐線は2駅隣の広野駅までしか走っていません。
ポストも集配はしていないということなのでしょう。

おそらくどちらも被災物。ただ、辛うじてガレキとして処分されるリストに入ることはなかったということです。

まるでゴミのように扱われるかどうかの境目。
富岡の町に残されたものにしてもどちらにしても、もとの主に使われることなく放置されたままという事実。
長く人が入ることができなかったことが生んだ極めて特殊な光景。

ガレキとひとまとめにして呼ばれがちな被災物のひとつひとつに、震災のこと、これからなすべきこと、災害に備えるためのことなど、たくさんのことを考える「入り口」があるのです。

●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)