まだ成長するのなら、火を吐くとか尻尾が生えるとか空飛べるとかしてくれねーかなぁ。人外で構わんから。
引用元:本柳真一さんのFacebook記事より
人外っていうのは、人間に似てるが人間とは違うキャラクター。
昔風に言うなら、こんな意味か。
たとえ鬼神と化そうとも、我、なすべきことをなすのみ。
車窓の向こうに姿を見つけた運命
本柳真一さんの名前は、いわき市久之浜で幾度も幾度も耳にしてきた。
いや、久之浜に行く前からだ。
震災の直後に被災地に入ったNPO法人伊豆どろんこの会の白井忠志さんから聞いたのが最初だったか。
支援物資をクルマに積み込んで福島県に入ったものの、どこに行けばいいのか、何が求められているのか、おそらく分からないことだらけだった、ごく初期。本柳さんとつながったことが大きかったという。
舞台となったのはいわき駅南口のペデストリアンデッキの上り口。実は本柳さんとは避難所ですでに知り合っていた。しかし、そこではあまり深い話はしなかったらしい。その後クルマで移動中、駅前で彼の姿を見つけて駆け寄り、立ち話の長話の中で語り合う中、支援活動の方向性が見えてきたという話だった。
「あの時の出会いには運命を感じたね。」
この話、白井さんから何度聞いただろう。
生命を賭けることができる人
地震、津波、火災、原発事故、そして窃盗団による組織的盗難。震災直後の久之浜は、「五重苦」と呼ばれた。放射能の影響を恐れて、郵便や宅急便はおろか行政の人の多くが域内に入らなくなっていたという。そんな中で、地元の若者が立ち上がる。SNSで全国からボランティアを募り、側溝の清掃やガレキ撤去、解体される家屋からの思い出の品や写真など「宝物」のレスキュー、さらに町の再興を目指した祭りの企画が進められた。その活動、のちに「北いわき再生発展プロジェクトチーム」へと発展していくグループの事務統括として、本柳さんは動いていた。
獅子奮迅の働きだったという。
1日に48時間分くらい働く人だと聞いた。
体を壊してしまわないか心配していたら、実は重い病を抱えていると告白されたという話も聞いた。
とくに、町の再興を目指した祭り「奉奠祭」にはすべてを掛けているみたいだという話だった。
最初の出会い以来、何度か久之浜に足を運んだ白井さんは本柳さんのことを案じ続けていた。「奉奠祭を成功させることができたら本望」って感じだったんだ。
そして、2011年夏の終わり、本柳さんは消息不明になる。何度電話してもメールしても返信がない。
家族から携帯とパソコンを没収されたという噂を聞いた。
重病説も流れた。もしかしたら、という話もあった。
久之浜に知り合いが増えていく中で、多くの人が彼のことを話していた。
北いわき再生発展プロジェクトチームの代表、高木優美(まさはる)さんはもちろん、鈴木豊さんのような町の大先輩の方たちも本柳さんのことを気にかけていた。
とくにベテランの方たちからは「あんた、本柳くんがどうしているか知らないか?」と尋ねられることが何度もあった。
去年の奉奠祭の時もそうだ。
「本柳くんに参加してほしかったなあ」
「本柳さんはどうしているんだろう」
震災直後から久之浜に入っていたというボランティアの人に本柳さんのことを尋ねてみたが、首を横に振るばかりだった。
自分の中で、本柳真一さんは、何としてでも探し出したい人になっていた。
そんな彼の消息が突然わかった。きっかけはあっけないものだった。三島市や富士市から頻繁に久之浜に入って活動をずっと続けてきた知り合いが、Facebookの彼の書き込みをシェアしていた。久之浜ではなく、地元の仲間たちが本柳さんとつながっていた。まったく灯台もと暗しだ。
内容は冒頭で紹介したとおり。
彼の所在がわかった時、震災直後からの仲間にメールを打った。
福島の本柳氏と繋がれた。生きてた。嬉しかった。会ったこともないのに。
引用元:自分のメールより
会いにいくのが楽しみだ。
協力:北いわき再生発展プロジェクトチーム・NPO法人伊豆どろんこの会
●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)