今年の春、被災地からこども達の受け入れ活動のお手伝いをしていた時のこと。
バスの到着を待つ間、東北から付添で来ていたNさんと、5分間ほど立ち話しした。
いま住んでいる町のこと、商店街の先行きのこと、昔住んでいた町の再開発のこと。話しているうち、震災直後の話になった。それはNさんが転居を決意した理由にもつながる話だった。
被災者として恥ずかしい
「それまで普通に付き合ってきたけど、この人って、実はこんな人間だったんだ! ということが、あまりにもたくさんありました。」
被災した直後の混乱の中で、いろいろなことを経験した。見たくない人間の姿をたくさん目にした。避難所でもそう。片付けに入った職場でもそう。ああいう時には、ごまかしようのない本当の姿が表に出てしまうものなのか。
ある日、会社の人が言うんだ。ちょっと、ちょっとって物陰に手招きするような感じで、こそこそと。
「でさ、いくらもらった? 海辺の方じゃたくさんもらったそうだな。誰にも言わねっから教えろよ。」
カーッと自分の方が恥ずかしくなった。
何という人なんだ!
うちみたいに、家財がぜんぶ流されてしまった者はマイナスからの再出発。たしかにお金はいただいた。でも、たとえば2000万の損害に対して500万もらっても1500万のマイナス。ゼロ以下であることに違いない。それなのに「たくさんもらったんだって」という言葉が飛び出してくる。
浸水被害を受けた家屋には見舞金が出たのだが、玄関先がほんの数センチ、辛うじて靴が浮かぶくらいの被害でも、当然って顔で補償を申請した人もいた。それも一人二人じゃない。海から遠い地域でも「いくらもらった?」なんてことが話題になるくらいだから推して知るべし。
「被災地にはたくさんのボランティアの人が来てくれて、一所懸命に仕事をしてくれているでしょう。見ず知らずの土地に長期間滞在して、身を削って支援してくれている人もたくさんいます。そんな皆さんに、同じ被災者として申し訳ないんです。」
つながることで伝えたい
同じような話を耳にすることは時々ある。
「震災の後、地元の人間の中には何をやってるんだ!って奴らがたくさんいた。それに対して、外から来て手を貸してくれた人たちには、本当に、感謝しきれないほど良くしてくださった。だから、自分たちはどこへでも出向いて行って自分たちの獅子舞を舞います。」
本番までのちょっと長めの待ち時間、大曲浜獅子舞保存会の伊藤泰廣さんは楽屋裏の立ち話でそう言った。東松島市大曲浜は、津波で壊滅的な被害を受けた場所だ。保存会でも前会長含む4人の命が奪われた。残された会員も多くも大切な身内を亡くしている。代々受け継がれてきた獅子頭も流された。法被や笛、太鼓も流された。そんな状況から大曲浜獅子舞保存会は再起を決して立ち上がり、平成24年1月3日の大曲浜新橋から獅子舞を再開した。
昨年の公演回数は60回。会員の多くが勤め人だから、土日中心で公演を続けている。
大曲浜の獅子舞は勇壮な舞いだ。舞台では、「自分たちの舞いを見て、少しでも元気になっていただきたい」と挨拶する。その本心は、これまでの「つながり」への返礼だ。
伊藤さんは言う。「言葉じゃなくてね、俺たちは舞うことで伝えたい。」
頑張っている人ほど、こころに重荷を背負っている。
自分たちに何ができる?
なんて考え込む前に、走って行って握手して、友だちになろう。
握り返してくる手のひらの熱さに感じるものが、必ず互いのパワーになる。
江戸から続く伝統の獅子舞を、震災を乗り越えて舞い続ける、熱い熱い人たちです。