クローバーが咲き乱れる陸前高田の町なかで、あの電柱と再会した。
初めて会った4月には、周囲は寒々しい景色が広がっていたが、シロツメクサが白い花を咲かせているだけで印象が少し違って見える。
2カ月ほどの間で変化したことといえば、日中ならそろそろ半袖でも過ごせるかなというくらいに季節が進んだことと、ガレキの処理が進んだこと。そして、奇跡の一本松の修復作業のめどが見えてきたこと。
もちろん、きっと、目に見えないところで、いろいろな変化が進行しているのだろうけれど。
rikuzentakata_pole
電柱の鉄筋だった鉄線が、根元からどんなふうに伸びているのか、ビデオカメラでたどってみた。
風の音と重機の音がうるさいのでボリュームにご注意を。手振れもあります。あしからず。
おそらく建物の解体で出たのであろう、細かな灰色の砂塵が地表に層のように堆積していた4月から比べれば、植物のみどり色が人の気持ちを和ませてくれるのを感じる。
自然が、少しずつ町の景色を変えていく中、どんな変化が実際に進んでいるのか、こんど訪れた時には、町を歩いて話を聞いて回ろうと思う。
いろいろな場所で見つけた電柱の仲間たち
2011年11月19日、石巻市雄勝町の分浜で見つけた電柱。
四角いコンクリートブロックの基礎の中に、電柱の根っこの部分が見える。コンクリート基礎の向こう側から伸びる鉄筋が、ぐるっと回って手前の電柱頂部までつながっていた。
2013年3月7日、福島県楢葉町で出会ったこの被災物は、電柱が鉄筋の束になってしまう途中経過を物語っている。
下半分は鉄筋がむき出しだが、上部は原形をとどめている。
同じ日、いわき市久之浜で。
おそらく、楢葉の電柱と同じような状態だったものの鉄筋がカットされたもの。こうした状態の鉄筋の束は、いまでもけっこう見ることができる。
どれも、津波の巨大なエネルギーを物語る遺構だ。
工業的な規格に則って製造されたコンクリート電柱が、不定型な、そして奔放と思えるほどのフォルムに変形している。
いずれも、やがて「ガレキ」として処理されてしまうのだろう。
でもそれは、ただそこにあるだけで、忘れっぽい私たちをあの日の記憶に引き戻してくれるもの。被災した人たちのみならず、日本中の人たちが映像から目を離すことができなかったあの日に、呼び戻してくれるものなのだ。
2013年4月17日の電柱の様子。