息子へ。被災地からの手紙(2013年6月3日)

2013年6月2日 岩手県陸前高田市

陸前高田の町なかは、ほんとうに建物がほとんどなくなってしまって、まっ平らになった。ランドマークがほとんどなくなったせいで、クルマを走らせていて道に迷ってしまう。実際に、道を間違えて、舗装が剥がされたままの砂利道の一本道を延々走る羽目にもなってしまった。

そんなまっ平らな町なかから、仮設の市役所が建てられた丘を越えて、さらに坂を下った盆地のような場所、竹駒の町も川を遡ってきた津波によって大きな被害を蒙った。

クルマで走っていると、本当に信じられないんだ。けっこうな坂道を上った気になっているから、まさかこんなところまで!と本当に驚いてしまうんだ。

竹駒の町には仮設のスーパーやドラッグストア、ホームセンター、100均ショップなどが立ち並んでいる。まわりは山に囲まれているんだけれど、津波でやられてしまった町は、どこか土色とか灰色といった色彩が勝っているように思える。大型ダンプが走りまわっているから、空気もかなり土埃っぽい。その点、竹駒の町も陸前高田の中心部と雰囲気はよく似ている。

だけど、気仙川に沿って伸びる国道340号をもう少し北上していくと、景色も空気も光までも一新する。道に平行する気仙川の水は澄みきっていて、川底の岩を縫うようにして輝きながら流れ下っていく。北国ならではの淡い新緑がきらきら光る。民家も、とくに古風なわけではないけれど、自然の中につつましやかにたたずんでいる。

一言でいうと、日本の田舎の理想形、みたいな感じ。
夏休みに帰って行って、川遊びしたり、虫取りしたりしたくなるような、そんな風景。井戸でキュウリやスイカを冷やしたり、渦巻き型の蚊取り線香が似合う世界。
原風景っていわれる風景そのものなんだ。

道沿いには川の駅なんて施設まであったよ。中身は道の駅と変わらないんだけど、この土地の人たちが川を誇りに感じていることが伝わってくる。

川の駅で折り返して、陸前高田に戻ることにした。
走っていると、不思議なことに、陸前高田の町のイメージが、これまでとは違うものになっていた。

烈しい津波によって町がまるごと破壊されてしまった「被災地」に、震災以前の姿を想像することは難しい。たとえ写真集を見ても、これまではどこかぴんとこない部分があった。

でも、町なかから20分くらい山の方に入って、美しすぎるくらいに美しい風景の中を走っていると、この原風景の延長線上に陸前高田があるってことが呑み込めてきた。

在(田舎)と町。その組み合わせがあるからこその陸前高田だった。人の交流もこころの交流もきっとたくさんあったに違いない。その片方の町がなくなってしまった。

失われた陸前高田は、どうやって新しい姿を取り戻していくのだろうか。
この町の在であるエリアを通して、過去と未来をつなぐあるべき姿が見えてくるような気がした。

どこか別の都会にある何かを持ってくるのではなく、観光案内に載っていそうなお祭りとか伝統工芸とかを表面的になぞるのでもない未来の陸前高田。緑と水と風がきらきら輝く町としてよみがえってほしい。