2013年4月17日 宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館
気仙沼港の岸壁では、オイルフェンスのようなものが張られて(たぶん地上から汚れが海に流れ出さないようにしているのだろう)、埠頭の工事が進んでいた。その手前には工事の進展を待っている被災した岸壁。
港の岸壁って、こういう構造だったんだってことが、よくわかる。地続きの部分に重力式の擁壁を造って、そこから先、海の方にデッキを張り出させることで、港の深さを実現しているんだ。大きな船は喫水が大きくなるから、深い港じゃないと停泊できないからね。張り出したデッキの部分が外された気仙沼港は、中身が丸見えだった。
そんな港の岸壁で、もうひとつ驚かされたのは、岸壁を構成するブロックのすべてが、ずれて大きな隙間が空いていたこと。
地震と津波で大きく揺り動かされただけでなく、地震による地形の変化で海に向かって陸地が大きく引っ張られたことを示しているように思えた。
気仙沼の街なかでも、被災した建物の撤去が進み、数か月前とくらべても変化していっていることがよく分かる。いまはまだ、住宅地だった場所、店舗だった場所、工場だった場所など、地面をよく探すと土に埋もれたがれきの中から、「そこが元々どんな場所だったのか」を示す何かが見つかることもある。
やがて、区画整備やかさ上げなどの土木工事が進み、街に新しい建物が建ち始めると、目に見える形での震災の証拠はどんどん減っていくだろう。
もしかしたら、街の姿が変化していく中で、震災そのものが人々の記憶の中から薄れていくようなことも起こるかもしれない。
「残す」だけではなく、「正確に伝えていく」という使命感で、震災をテーマとした展示を常設展として行っている美術館が気仙沼市にあるリアス・アーク美術館だ。
展示は圧巻だったよ。
どんな展覧会だったかは別の記事で詳しく書くけれど、展覧会を企画した学芸員の山内さんはこんな提案をしていた。強い思いをもって。
記憶…被災物
被災した人を被災者と呼ぶように、被災した物は被災物と呼べばいい。
ガレキという言葉を使わず、被災物と表現してほしい。
展覧会のキャプション表示「Key word」より
この意見にならおうと思う。
前から感じていたことだけど、感じているだけでは仕方がない。瓦礫と呼ばないこと。かつてひとの生活の場所にあったもの。ゴミと認識していては、次にくる災害から自分たちを守るという発想はリアルには生まれない。
ぽたるの東北復活応援情報のトップページです。