東日本大震災・復興支援リポート「北上川沿いに残った大川小学校」

北上川に架かる北上大橋から少し歩くと、円形の洒落た建物が見えてきます。空が広く、澄んだ空気と緑に囲まれた、とても良い立地に見えました。

3月11日、児童・職員121名のうち、84名が死亡または行方不明となった大川小学校。震災直後にやってきた大津波に対する児童・職員らの咄嗟の判断が、非情にも命運を分けてしまいました。

広く大きな北上川を押し寄せ、大津波がこの一帯を襲いました。

海岸線から5km以上離れているとのことで、実際に見渡してみても、海が近くにある雰囲気はありません。ましてや、大津波が押し寄せてくるなんて、想像出来るでしょうか。

こちらが有名な三角地帯です。「津波の際、ここに逃げれば大丈夫」と“想定”されていました。しかし、大津波の水面はその遥か上を通過したそうです。

この日も、多くの人が訪れ、祈りを捧げていました。

「震災以後は、何度となく大川小学校に来ていますね」

とは、被災地を案内してまわるタクシーの運転手さんの言葉です。この場所を訪れ、この場所を見て抱く気持ちの意味を考えてしまいます。

かつて、児童・職員121名が過ごしていた当時の景色には、二度と戻りません。事実、建物の一部を残し、小学校周辺にはほとんど何もありませんでした。

そこに残った、大川小学校の校舎。

「ほとんどのものが流されてしまった中、児童・職員121名が過ごしてきた唯一の軌跡かも知れませんね」

と、タクシーの運転手さんは言いました。