安上がり!船に乗って石垣島へ行く
僕は那覇新港から船に乗った。名古屋発、台湾・基隆行き。クルーズフェリー飛龍21。名古屋から、大阪、沖縄3島を経由し、3日かけて台湾までを結ぶというフェリーだった。僕は貧乏旅行をしながら目的地・西表島を目指していた。その西表島に行くには、那覇からこの台湾行きの船に乗り、途中の石垣島で下船する必要がある。そして、これが船で石垣島へ行く唯一の手段でもあったのだ。 なんと言っても船に乗るメリットは安いこと。これに尽きた。まぁ、そのぶん所要時間が大幅にかかってしまうのだが、当時は大学を1年間休んでいたので時間だけはあった僕。時間は無視してとにかく安く済ませることに一種の気持ちよさを感じていたのだ。
ところが、船が出る那覇新港へ向かうにつれ、ある種の不安が湧いてきた。まず、那覇新港が市街地から離れているのだ!ほとんどの旅客船が沖縄本島メインの港である泊港が出るのに対し、那覇新港はどちらかというと、倉庫が立ち並ぶ物流拠点という印象。街灯も少なく、ひと気もほとんどない。そのうえ薄暗いもんだから「船の日時を間違えたか」と不安にもなった。幸い、敷地内に入ると「那覇新港」と書いてあり、思わずホッとしてしまった。
居心地抜群!だけどガラガラ・・・クルーズフェリー飛龍21
案内された船内は想像以上に広く、しかも白を基調にきれいにされていた。一番下等である2等船室でさえ、綺麗な2段ベッドでおまけにテレビもシャワーも付いているではないか!まるでビジネスホテルの一室レベルである。船と言えば、大揺れ・大部屋・雑魚寝。それらを覚悟していた僕にとっては驚きの連続だった。
なんてったって布団が柔らかい!一人旅の道中はせんべい布団程度の場所で寝ることだらけだったし、船なんて等級が低い席は普通雑魚寝だ。ふかふかとまでは言わないが、身体が沈む程度に柔らかいなんて考えられなかった! しかし、ひとつ気になったのは、港から船に乗った人間が僕含め、3人だったということ。もちろん、名古屋、大阪方面からも乗っているのだろうけど、あまりにも少ない・・・。たしかにこの日は4月のごくごく普通の平日である。長時間かけてわざわざ船に乗る方が珍しいのだろう。ただ、それにしたって少ない。大丈夫かと心配になった。意外とこんなものなのか?
食堂も豪華絢爛。ゲームコーナーもある。が、どれも電気が落ちている。「うーん寂しいな。」と思うものの、お客さんの少ない船を思えば仕方がないのかと感じた。 やることが無くなった僕はなんとなく甲板へ出た。甲板は何故か木の板で出来ており、まさにウッドデッキといった感じだった。午後18時、クルーズフェリー飛龍21は南国・那覇を出港し石垣島へ。およそ10時間の船旅である。暖かい風がちょうどよく、気持ちよかった。僕は下戸なのだが、ビールを飲めるならさらに気持ち良かったかも知れない。
翌朝、船は無事石垣島へたどり着く。船内は少し寂しかったものの、抜群に居心地が良く、気に入ってしまった。僕は石垣島から船を乗り継ぎ、西表島へと向かった。
急に倒産してしまった!
西表島でお金が尽きた僕は、そのまま3か月ほど西表島の宿に住み込んで働いていた。宿自体は忙しかったが、GWのヤマ場を乗り越え、ひと段落した5月下旬。給料と言うには少ない数千円ほどの日当だったものの、次の旅に出かける程度の資金は貯まってきた。
ところが、いつものように眺めているニュースが少し騒々しい。よく聞いていると、沖縄を代表する企業・有村産業の経営が大変らしいのだ。 「ふーん、なんか大変そう。」
と、僕が言うと、宿のスタッフ仲間が、一言。 「あんた、帰れるの?」
「へ?」 そう、有村産業とは、行きに乗船した船を運航する会社のことだった。僕はあと2週間ほど働いて、次の旅先へ出発しようと考えていたのだが、もちろん行きと同じ船に乗るつもりだった。しかし、ニュースは
「有村産業は、6月以降の便を無期限運休とし、云々」 「えぇぇぇぇぇっ!」
有村産業に関するニュースは、5月のその日を境に毎日のように報道されるようになった。ただ、状況は二転三転しつつも、当時問題となっていた原油価格の高騰がネックとなり、どうも雲行きは怪しい。負債総額も100億を超えるとかで、とても航路復旧の見通しは立たないようだ。 「こうなれば飛行機しかないね・・・」
とスタッフ仲間は言うが、すっかり貧乏根性が染みついていた僕は、「飛行機なんて高すぎる!」と、絶望的な気分になってしまった。ただでさえ高い離島航空路、帰る直前に安いフェリーが運休になり、高い値段の飛行機に変えざるを得ないなんて割に合わないのだ!どこにもぶつけられない不満を抱えつつ、渋々飛行機の手配を考える。
スカイメイトで一件落着!?
「スカイメイトはどう!?」
「スカイメイト?」 スカイメイトとは12歳以上22歳未満であれば、当日残席のある空路が48%前後割引されるという素敵なシステムだと言う。飛行機に乗らない僕はまったく知らなかったが、僕は当時で21歳と8か月。ギリギリOKだ!
こうして僕はなんとか航空券を手に入れる算段が立った。ほぼ定価の半額の値段で飛行機を手配できたが、それでも船の方が安い。せっかくの素敵な船だったけど、こればっかりは仕方がないのだろうか。ちょうど同じころ、ニュースでは有村産業の社長が会見を行っており、会社は恐らく倒産するだろうと報じられていた。 「どれだけ中身が贅沢でも、資金がやりくりできなかったら意味ないよね。」
スタッフ同士で会話中、僕は乗り心地の良かった船を思ってそう呟いた。 「あんたの一人旅と一緒だね。」
!!? たしかに・・・。