海辺の地をゆく「七ヶ浜町・菖蒲田」2012年11月16日

2012年11月16日(震災から617日目)の宮城県七ヶ浜町・菖蒲田海岸

仙台市の中心部から約20km。七ヶ浜町に入ると海辺の町の匂いがしてきます。東と北に松島湾、南側に広がる仙台湾に囲まれた七ヶ浜町は、仙台のベッドタウンでありながらリゾート地でもある場所。どことなく湘南を連想させるような雰囲気のある町です。

縄文時代からの繁栄を物語る日本最大規模の「大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)」、明治のころから外国人たちの保養地として人気を集めてきた「高山外国人避暑地」、サーフスポットとしても有名な「菖蒲田浜(しょうぶたはま)」。魅力がいっぱいの七ヶ浜町の、震災617日目の風景です。

日本で三番目に開かれたという歴史を誇る「菖蒲田浜海水浴場」。堤防の上にあったはずの水門設備が白い砂浜に半ば埋もれて立っています。

堤防の応急修理では水門をつくらなかったようで、陸側にたまった水をポンプで排出しています。

砂浜で不思議なものを見つけました。季節は秋も終わり近く。しかも震災から1年半以上経過しているのに、ふくらんだまま砂に埋もれている浮輪。

堤防に上から南を望むとこんな光景が広がります。車が数台停まっている場所は、津波被害の後に砕石などでかさ上げされた土地。手前の大きな水たまりは、かつて水門から海に流れていたはずの小川の跡。仮設の堤防の奥に、小春日和の日差しを受けて排水ホースの束が光っています。

さきほどの場所から振り返ると、紅白にペイントされた奇妙なものが建てられています。

「完成時堤防高」と掲げられた看板の左には、写真では分かりにくいですが「TP6.8」と記されています。堤防の高さが「東京湾の平均水面から6.8メートルのレベルになる」という意味です。

陸側の松林から眺めると、こんな感じです。現在の堤防でも海は見えませんが、さらに高い堤防になるとかなり威圧感のあるものになりそうです。

堤防のかさ上げ工事に、どれくらいの材料が必要になるのか計算してみました。2枚上の写真の足場のコマの間隔から概算すると、現在のグラウンドレベルから高さ約3.25m、幅は10mほどの堤防になるようです。この大きさの堤防をつくるためには、堤防1メートル当たり、砕石や土など32トン。表面を覆うコンクリートが4.9立方メートル(コンクリートの厚さ50cmと仮定)。

長さ1kmの堤防にするためには、大型ダンプカー3,200台、大型コンクリートミキサー車1,200台の資材が必要になります。

たった1kmの長さで、これだけの量の建設資材が必要になるのです。

かつての堤防は、コンクリート製の階段の下がえぐられて、裏側の砕石まで流出しています。この現象は「洗掘」と呼ばれるもので、釜石や大船渡の防潮堤など、各地で沿海部の構造物を破壊した原因とされています。構造物を越えて流れ込んできた津波が激しく渦巻くことで、堤防の基礎部分がえぐりとられてしまうのです。この階段も、もう少しで倒壊していたかもしれません。

このような被害を繰り返さないために、堤防のかさ上げが計画されたのです。堤防から陸側には防災林が植えられ、さらにかさ上げ道路がつくられる予定です。

総面積の約30%が津波による被害を受けた七ヶ浜町では、住民の生活を守るための砦が何重にもつくられる計画です。ここ菖蒲田浜地区では、海側から、防波堤のかさ上げ、防災林、かさ上げ道路、商業施設エリア、そしてさらに高台に新しい住宅地を造成する方針です。

海に囲まれた七ヶ浜町ですが、半島状の町の中央部には丘陵地帯が広がっています。計画では、海岸から丘陵地帯への道路も数多く整備されることになっています。

菖蒲田浜近くにあるスロープ状の住宅地です。正面の2区画は津波の被害を受けていますが、左奥の建物は無事だったようです。海からの標高が住宅を守ることの証のように思えます。しかし、どれだけの高さの場所なら安全かという問いに答えることは、非常に難しいことです。

菖蒲田浜近くにはこんな看板がありました。明らかに震災後に出されたものでしょう。

そして、こんな看板も。

町が消えてしまった後に掲げられた看板です。

白い砂浜に重機の履帯の跡。違和感のある光景ですが、宮城県で一番多くの海水浴客を集めていた菖蒲田浜はいま、新しい街づくりの最前線なのです。

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)