2013年2月1日 宮城県石巻市
今日取材した勝さんって、キリリと涼しげで整った切れ長の目をしている人なんだよね。話をしていると、知性とか優しさとかがその目を通して伝わってくる。だけど、11月に会った時に感じたんだけど、写真に撮ると目の表情がふにゃっと笑ったようになってしまうんだ。
だから今回はたくさん撮った。シャッターを押しながら、「勝さんらしい表情がなかなか撮れないんですよね」と告白したら、勝さんも「カメラ向けられると目が笑っちゃうんですよ」と打ち明けてくれた。だからシャッターをバシバシ押し続けた。撮影した後に数えてみたら74枚。35ミリのフィルムカメラなら2本分も撮っていた。それでも、キリッとした目の写真は…。
人が話しているところをビデオで撮影してコマ送り再生すると分かると思うけど、人の表情って常に変化し続けるものなんだ。「この人」というイメージ通りの映像は、コマ送りしたスチル画像の何分の一もない。まばたきから目を開いていく瞬間とか、口を閉じようとしてちょっと舌が出ちゃうとか、切り取る瞬間よってはとんでもない映像になることもある。どんな美女でもイケメンでもそう。人間の目って、動画的に見ている映像から、その人らしいイメージを頭の中で合成しているんだと思う。
だから写真とイメージにギャップが出てしまう。でも、
ヘンな顔にしないのはもちろん、一瞬の画像の中に、その人とらしさとか、その人の気持ちとか、その場の温度感とか、下手すると思想や哲学まで詰め込んで作品にしてしまう人たちがいる。写真家と呼ばれる人たちだ。石巻に来て、そんな優れた写真家の人たちと知り合う機会が増えた。
昔は写真家とライターがセットで取材に行くことが多かったから、写真を仕事にしている人と時間を共有する機会が多かった。話していると写真家の人たちはほぼ例外なく物知りで、写真以外のジャンルについても好奇心が旺盛で、話好きで、しかも聞き上手の人が多い。相手から何かを引き出す魔法のような術を持っている。だから長期間のロケでも退屈することがなかった。退屈どころか、仕事が終わって別れる時にはいつも名残惜しく感じてたほど。また一緒に仕事しましょう、というのがお決まりの挨拶言葉だった。
写真家の人たちに共通する人間的な魅力って、一瞬の中にその人らしさを引っ張り出して、フィルムなりメモリなりに定着するという仕事柄から来ているものなのかもしれない。
久しぶりに何人もの写真家と知り合う機会を得られたのがうれしくて、「どうやったら、あんなにいい表情が撮れるの?」とみんなに聞いてみたよ。
ある人は「一緒にいる時間をしっかり共有することかな」と答えてくれた。ある人は「難しいことは考えてないけど、相手に愛情を感じることは絶対必要」と素敵な答を返してくれた。これはケースケさん。こんど記事で紹介するマッハさんは「明るい面も暗い面もひっくるめて人間だから」と話していた。うーん、これはちょっと難解。彼女自身はまるでブナの葉が芽生えていく様子を超・超・超早送りで再生して見るような、明るくみずみずしくはじけてて元気いっぱいな人なんだけど、深い。
聞いた人みんなに共通するのは、レンズとか絞りとかメカニカルな技術のことではなく、まばたきした半呼吸後の瞬間を狙うとかいうテクニカルな話でもなく、写真を撮らせてもらう相手との向き合い方。カメラを構えるまでの時間の過ごし方なんだ。そう考えると、なおのこと深いなって思うだろ。
これって、もちろん物書きにも相通じる話だ。とくに東北で初めて会った人と話すときなんか、心構えは写真家の人たちと同じだと思う。
時間をしっかり共有する。愛情を持つ。明るい面もそうでない面も受け止める。もうひとつ付け加えるなら、これは写真家の人ではないんだが、Facebookの記事の中でぽろりとこぼしてくれた「友情」という言葉も拾わせてもらいたい。
前にも「取材と愛情」について書いたことがあったけど、実はその後ちょっと悩ましかったんだ。愛情を持って、なんて喋るのはけっこう勇気がいるなあと。
たしかに友情という言葉も照れくさいけど、話をする間一緒に過ごして、いろいろな話を聞かせてもらって、その人に対して「基本・やさしさ」で接するのって、友だちと同じようなもの。パチッとそうひらめいたんだ。写真家の人たちがいろいろな言葉で話してくれたことを、ひっくるめるとこの言葉になるんじゃないか。もちろんそこには愛情のエッセンスも含まれているしね。
あらためて、東北でたくさん友だちをつくっていきたい。
人と人の間には距離感がある。付き合いを左右する大切な要素だけど、「気持ちと時間を共有する友だち」という距離感は、写真とかライターとかそういう職業のことではなくて、人づきあいのもっとも原始的な基本なのかもしれないね。