いろいろな思いを昇華させて被災地に咲くカラフルなペイントの花(2011年11月13日)

   震災前の町を知らない人にとって、そこは建物が失われた廃墟にしか見えないかもしれない。しかし、長年その町で暮らしてきた人の目には、見えないはずの「元の町並み」がしっかり見えている。廃墟の上の空間に、これから作っていくもっと豊かでもっと幸せな町の姿を、たしかに見出だしている人たちもいる。福島第一原発から約30キロのいわき市久之浜町。圧倒的な自然の猛威にさらされた町で今を生きる人たちに会ってきた。

町の人たちにとって、そこは廃墟ではない

   国道6号線から海辺の町につながる細い道路に入る。緩やかな左カーブを抜けると光景が一変した。建物が消えてしまった空間に道路だけが続いている。わずか1~2メートルの高さの坂の上から町が見渡せる。構造物が失われた町並みは海辺近くまで広がり、一部が壊れた防波堤の向こうでは、冬の海が波しぶきを上げている。福島県いわき市久之浜町。震災から8カ月、2011年11月の風景だ。

   波立海岸から続く海岸の美しさ。ウニ、タコ、アワビ、ヒラメ、アンコウなど太平洋の海の幸。緑溢れる三森渓谷の清流。ここ久之浜は豊かな自然や地元の魅力を若い世代に伝えようと、世代を超えた交流が盛んに行われてきた土地だという。地産地消を推進する運動、浜エンドウ・浜ヒルガオの保護、ふるさとを再発見する活動など、多彩な催しが例年行われてきた。小さな町だからこそ、顔と顔でつながるコミュニティがあったという。

   車を降り、町があった場所を歩いてみた。基礎の上に残された太い材木には火災の後の焦げ跡が残っている。芯まで炭になった丸太もあった。そして、町のあちこちには黒く焼け焦げた立ち木。かろうじて残ったコンクリート擁壁には何か大きな物に擦り付けられた傷が無数に残っている。地震、津波、火災、そして原発事故、さらには窃盗団…。地元の人が嘆いたという「五重苦」という言葉を思い出す。

   中にはまだ造られたばかりと思われる真新しい住宅基礎もあった。丁寧な仕事で造られたきれいなコンクリート基礎だった。この家に住んでいた人はどうしているのだろうか。もしも、自分が建てたばかりの家を失ったとしたら、どんな気持ちになるのだろう。そんなことを思いながら、カメラを向けていたら、遠くから若い男性に呼び止められた。

   「オレの知り合いの家で、おまえは何をしているんだ」

   もしも自分が同じ目に遭ったらどんな気持ちになるのかと思って写真を撮っていたと、考えていたことをそのまま答えた。彼はこちらに向かって歩きながら、さらに語気を強めて言った。

   「だからって、他人の家の敷地に勝手に入って写真なんか撮っていいのか」

   たとえコンクリート基礎だけしか残っていなくても、そこは確かに彼の知り合いの住まいであり、よそ者が敷地内に入り込んでパシャパシャ撮影することなど、決して許されないことなのだ。自分の非礼を詫びて、コンクリート基礎を写した写真を消去した。

   カメラから目を上げると彼の顔が目の前にあった。「おまえ、どこから来た。何しに来た」。目と目を見合わせたまま、彼はなお問い詰めた。自分はありのままを答えるしかなかった。

   「本当に消去したんだな」。なおも目を見据えたまま彼は言った。その言葉には失われた何かを、それでも守ろうとする強い気持ちを感じた。自分はもう一度、自分の非礼を謝罪した。

前に進みたい気持ちと複雑な思い

   久之浜町を訪れた目的は、北いわき再生発展プロジェクト高木優美(たかぎまさはる)さんに会うことだった。

がれきの撤去作業が進む久之浜町では、解体を待つ建物や火災で焼けたポストなど、町のあちこちでカラフルなペンキで描かれた花を見かける。北いわき再生発展プロジェクトチームが「ガレキに花を咲かせましょう」と呼びかけ、ボランティアたちが描いたものだ。今では「うちの建物にも描いてほしい」という依頼が増えて、町のあちこちに個性豊かな花をたくさん咲かせている。

   プロジェクトチーム代表の高木さんを、活動拠点の諏訪神社を訪ねたが、あいにく外出中でこの日はお会いすることができなかった。その代わりに対応していただいたお母様からこんな話を伺った。

   がれきの撤去は進んでいるが、その後の計画はまだ不明な点が少なくないこと。自分の土地に家を建て直したいと言う人がいる一方で、若い人たちの中には生活の基盤を移そうと考えている人も少なくないこと。10月から小学校と中学校で授業を再開したが、子どもたちは原発から離れたいわき市南部の方で生活していて、学校へは毎日スクールバスで通っていること。

   あの震災を生きた人たちが町から離れようとしている現実に胸が痛んだ。しかし、彼女は柔和な表情を保ったまま淡々と「被災者の気持ちは複雑だから」と話してくれた。そして、こんな言葉も。

   自然の力は恐ろしいものだけど、それでも桜が咲いてくれたのは嬉しかった。「どうしてなんでしょうね。桜の花って、日本人には特別なものなんですね」

   そんな彼女の息子さんである優美さんは、廃墟のようになった建物にペンキで花を咲かせている。咲かせた花は建物の撤去とともに消えてしまうが、その分だけ一歩、復興が近づく。そんな思いが「ガレ花」に込められているように思えてくる。

   「たくさんのボランティアの方に来て頂いたことに、みんな言葉に尽くせないほど感謝しています。これからはボランティアとしてだけではなく、ただ久之浜の町を見るだけでもいいので、多くの人に来ていただきたい。この町で目にしたことを、ご自身の町の防災に役立てて頂きたいんです。でもね、そう思う反面、どうして自分たちが?なぜ自分たちの町が?というやり切れない思いがあるのも事実なのです」

   久之浜では63名が死亡、あるいは行方不明になっている。

   「みんなが知り合いのような小さな町でこれだけの人を一度に失ったのです。もちろん、生きている私たちは前に進まなければならない。分かっています、生きているんですから。でもね」

   彼女は言葉を詰まらせると、ちょっと笑ってこう言葉をつないだ。「だめですね。息子にいつも叱られるんですよ。母さんはすぐ感傷的になるからって。ちゃんと前を見て行かなければ」。

   息子の優美さんは、津波被害にも原発の影響にもくじけることなく、久之浜の町を震災前よりももっと豊かで活気ある町にしようと活動しているのだという。ガレ花はきっとそんな前向きなハートを、町の人たちに、町を出て行った人たちに、外から町を訪れる人たちにアピールするものなのだろう。復興を信じて活動する若者たちの目には、廃墟の上の空間に新しい未来の久之浜の姿が見えているはずだ。

   神社の鳥居の前に軽ワゴン車が停まる。ガレ花アート制作に出かけていたボランティアスタッフが帰って来たのだ。手や顔にペイントの汚れを付けた若者たちが元気にワゴンから飛び降りてくる。彼らの笑顔と笑い声は、ざわめくような海鳴りを打ち消して、神社の境内に明るく響いていた。

編集後記

   高木優美さんが代表を務める「北いわき再生発展プロジェクトチーム」の活動は、ガレ花アートだけではありません。がれき撤去や側溝清掃、産廃ゴミの仕分け、買物支援や線量計測、さらにはイベントの企画まで。「再生だけではなく震災前よりもこの地域を発展させる」ことを目標に活動を行っています。コミュニティの変容が懸念される状況の中で、高木さんやプロジェクトの方々がどんな想いをもって活動に取り組んでいるのか、改めて近日中に取材を行いお伝えします。(2011年11月13日取材)

取材・構成:井上良太(ジェーピーツーワン)
取材協力:北いわき再生発展プロジェクトチーム・NPO法人伊豆どろんこの会