東日本大震災・復興支援リポート 「陸前高田の1年半」

2012年10月25日の陸前高田市

陸前高田市、旧・市役所周辺を歩いた。むき出しになった鉄筋が、虚空を引っ掻いているように見える。

多くの職員や市民が犠牲となった旧庁舎は、2012年度内の解体が決定し、11月10日にはお別れ会が執り行われた。

市役所に隣接していた市民会館の建物。

建物の上部が破壊され、階段状の観客席の基盤があらわになっている。

ホールだった場所には草が生えている。見上げると壊れた壁に炊飯器がぶら下がっている。ありえない状況が、当たり前のものとして刻まれてきた時間。すでに1年半が過ぎた。

旧・市役所の敷地の一部では瓦礫の分別が行われていた。

右は鉄筋の山。左奥は鉄筋が除去される前の鉄筋コンクリートの瓦礫。

鉄筋コンクリートを再利用するためには、鉄筋を取り除かなければならない。鉄は錆びると発熱したり、膨張したり、強度が下がったりするからだ。

ジョークラッシャー(大きなアゴのように瓦礫を挟んで粉々にする重機:奥の黄色い機械)で瓦礫を潰した後、鉄筋が選り分けられていく。

巨大な機械が大きな音を発しながら進めていく、地味で地道な明日への作業だ。

お隣の大船渡市に本社があるスーパーは、津波で3階まで破壊された。恐ろしいほどの惨状だが、お客も店員もここでは無事だったという。

上の写真と同じスーパーの内部を撮影。

被害のほとんどは津波によるものだが、落下したりぶら下がったりしている天井や天井裏のダクト、配管類、むき出しになったエスカレーターなど、震災時に商業施設がどんな状況になるのか、その危険性がよく分かる。

写真:奥野真人

上の写真は高田松原第一球場。

海の近く、高田松原につくられたばかりの野球場は、地盤沈下で海の中にある。野球が盛んなことで知られる陸前高田。球場の再開は地域の子どもたちの希望につながるはずだが、海に沈んだ場所での再開はありえない。

大船渡線の踏切。線路が残るのは踏切だけ。岩手県一関市の一ノ関駅から宮城県気仙沼市、岩手県陸前高田市を経由して岩手県大船渡市の盛駅を結ぶJR東日本・大船渡線。ギザギザに走る路線を龍に見たてて「ドラゴンレール大船渡線」との愛称で親しまれてきたが、沿岸部の被害は大きかった。

2012年11月現在の運転区間は、一ノ関駅~気仙沼駅。第18共徳丸が駅前に残る鹿折唐桑駅から陸前高田、さらに大船渡市の盛駅までは不通となっている。

●TEXT+PHOTO(但し書きのないもの):井上良太