東日本大震災・復興支援リポート 津波の跡に残る建物

 

岩手県陸前高田市

とある企業の社屋だけが残ったが、周辺は跡形もない。 

 

被災地には、

「一見津波を耐えたように見える建物」

がいくつか残っていました。

 

宮城県気仙沼市

甚大な被害となった気仙沼において、立派に残ったホテル。しかし閉館を余儀なくされたようで、「二十五年間の長きにわたり、ご愛顧お引き立て愛されまして、誠にありがとうございます。」と垂れ幕が。

 

たとえ津波を耐え抜いたとしても、建物の歴史は幕を閉じる。

そこには悲しみの気持ちや感謝の気持ちが錯綜しているように見えました。

 

宮城県石巻市石巻港近くにある市立門脇小学校校舎。

今は周辺に建物が無く、傷だらけの校舎だけが目立っている。(2012年10月現在)校舎内もほとんどが津波によって破壊されたが、それでも屋上へ逃げた在校児童を守り抜いた。

盤石の骨組みが果たした功績は計り知れない。 

 

木造住宅は軒並み流されてしまいました。

そんななかに残る鉄筋コンクリートづくりの建物の数々。

当然無傷ではありませんが、多くの命を救ったのだろうとうかがい知れます。

それでも恐らく、建物としてはもう使えません。

 

岩手県陸前高田市

海沿いに建てられたホテルは津波に破壊され、今なお瓦礫が散乱。近くには献花やお供え物が置かれ、被災者の、被災者への祈りが込められていた。

 

多くの建物の、“足下”だけが流されていました。

鉄筋の骨組みがむき出しとなった建物が多く見られ、

たくましいはずなのに、どこか弱々しくも見えました。

一方で、残存する瓦礫の脇から、震災を知らない新たな草木も芽吹いていました。

 

 

岩手県宮古市田老三陸鉄道田老駅横、田老観光センター前。

線路の奥には山地が見えるが、周辺は漁師町が広がる。この町には海岸沿いに高い防波堤があったが、津波はそれを軽く越えて町を襲った。

残った建物も、「偶然残った」に過ぎない。

 

残った建物はたまたま少し強かった。

それだけのことだと思います。

津波に耐えるべきか、津波を避けるべきか。

今後どんな形で再生していくのでしょうか。  

福島県いわき市久之浜町

海岸沿いのこの町も、多くの住宅が壊れ、流され、燃えたと聞いた。今後は、「町内のある車道より海側には、住宅を置かない」と決まったそうだ。

一方で、その車道より海側にありながら、津波に耐えた建物もわずかにある。新たな街づくりのなかで、「津波に耐えた建物はどうするか」話し合いが進んでいるという。

 

津波によって、それまで親しんだ街並みが失われました。

そんな津波を受けながら、無傷で残った建物もわずかながら存在します。

これらの建物も今後はわかりません。

地域により、ケースバイケースで話し合いが進められています。

 

宮城県気仙沼市

市内のとあるホテルより見渡す気仙沼の港町。大きな施設や建物だけが津波に耐え、一部は震災前と同じように営業を再開している。

港町には多数の重機が作業に取り掛かり、復興を目指す。 

 

作業の早い遅いはあれど、重機が忙しく作業を続ける東北地方。

おそらくかつての、津波が襲う前の姿を目指しているのだろうと感じました。

ただ、「いつかわからない将来」ですが、津波は必ずまたやってきます。

被災地に住む人の多くが、「風化はさせたくない」と仰っていました。

今後津波とどう向きあっていくのか、今後どんな景色に変えていくのか。

深く関心を持ちたいところです。

そして今ある被災地の景色から、目をそらしてはならない気がします。