息子へ。被災地からのメール(2012年10月19日)

2012年10月19日◆久之浜(福島県いわき市)

東日本大震災で被災した地域への出張は今回で8回目。父さんが留守の間、ちょっと寂しいかもしれないが、毎日がんばってることと思います。

これから出張する時には、会社への報告とは別に、きみにも被災地のことを書いて送ることにしました。被災地の復興は5年後なんて話を聞くことが多いけど、実際に被害を受けた場所に行って、地域の人の話を聞くと「復興なんていつになるのか、先が見えない」という声が大半なんだよ。たしかなことは、被災地と呼ばれる地域が再生して、復活していくためには、いまの子どもたちの力が欠かせないということ。きみたちの世代(友だちや先輩や下級生たちみんな)が、被災した地域や、元気が減ってしまった日本を盛りたてて行く主役になるのは間違いない。当り前の計算だけど、あと5年すれば、いま15歳の人たちが成人する。10年たてば小学校4年生くらいの人たちが大人になっている。父さんたちもがんばるけど、復興までに長い時間が掛かることを考えたら、子どもたちに期待せざるを得ない状況であることは間違いない。

だから、震災から1年半と少しが経過した現在の被災地のことを、きみに少しでも伝えていきたいと考えたのです。長い報告になる時も、短いメールになる時もあるだろうけど、父さんの出張中には一日一度、メールを読んでくれるよう希望します。

◆ 楢葉町のゲートさて、今回の出張の初日は、上野から特急スーパーひたちに乗って福島県いわき市へ。いわき駅でレンタカーを借りて、最初に楢葉町の“ゲート”へ向かいました。ゲートというのは、福島第一原子力発電所の事故で、今も一般の人(そこに家がある人たちも含みます)の立ち入りが制限されている検問所のことです。

いわき市北部の久之浜を過ぎたあたりから、ほとんど一般車両を見かけることがなくなります。国道沿いなのに営業しているお店もほとんど見かけません。道を走っているのはダンプカーなどの工事用車両と警察の車、そしてバス。走り過ぎて行くバスの中を見ると、防護服とマスクを着用した人たちが乗り込んでいます。原発事故の現場へ向かう人たちなのかもしれません。やがて、ゲートに到着すると、そこには警察のパトカーや大型車両が何台も並び、道路をバリケードで閉鎖していました。ものものしい光景です。日常生活では経験できない、まるで映画の中のワンシーンみたいな緊張感がそこには充満していました。

ゲート付近からUターンして国道を走って行くと、道の両側に広がる田んぼに、イネではなくセイタカアワダチソウが一面に黄色い花を咲かせているのが印象的でした。

本来なら、実った稲穂が金色に輝いている場所に、外来植物が茂っているのです。誰だって、自分の田んぼが雑草だらけになってうれしいはずありませんよね。本当は田んぼを耕してイネを植えて、秋にはお米を収穫したい――。この辺の農家の人たちもきっとそう考えていたはずです。

でも、それができない。田んぼを覆うセイタカアワダチソウの黄色いじゅうたんを目にして、悔しく思ったり、情けなく思ったり、嘆き悲しんだりする人がいるということを、少しでも分かってほしいと思います。

第一回目はここまでにしておきます。またメールするからね。