東日本大震災・復興支援リポート「リュックに大切なものを詰めておけ」

7回目の移動でようやく故郷へ

改修工事が続く小さな漁港で車を降りたら、原付バイクに乗ってやってきたおじいさんが、魚網の修繕をしていました。

田村さんというおじいさんは漁師をしています。津波では港の対岸の家をまるごと流され、自分の船は国道6号線まで持って行かれ、ご自身も6カ所の避難所を転々とした後、7回目にやっと地元に戻って来ることができたそうです。

南相馬市の漁港で聞いた漁師のおじいさんの話

ここは福島県南相馬市鹿島区にある烏崎漁港。

ここには2012年の1月にも一度来たことがあります。浜通りとしては珍しく雪が降る日、津波の大きな被害を受けた港では陸揚げされた何隻かの漁船が修理中でした。

船のそばには海から引き揚げられた魚網やカゴ、タコをとる仕掛けなどが山のように積み上げられていました。でもそのゴミの山のようなところのすぐそばには、まだ使えそうなものが整頓して仕分けされていたのです。そのコントラストが、「早く海で仕事をしたい」と物語っているように感じられたものです。

こんな風に白くなってるのはもう傷んでいて使えねえ。でもこっちの網はちょっと直せば使えそうだろ?

田村さんは網を直す手を動かしながら、この港の将来のことを話してくれました。

年内には港のかさ上げが終わるって話だ。そうすればまた海に出ることができるだろう。タコもホッキ貝もヒラメもスズキも、ここの海は何でも獲れるからな。いつ漁に出られるようになってもいいように準備しとかないとな。

船は新しくするよ。家も建てなきゃならねえ。作業場も合わせたら200坪はいる。でも建てなきゃ仕事ができないからな

以前来た時と港の様子はほとんど変わりません。ただ、修理中の船が変わったことと、ゴミの山が高くなったことは分かります。

修理した船はもう何隻か海に戻ったからな。いま修理してるのは、津波で陸に打ち上げられたものだ。オレの船もずいぶん遠く、国道まで持って行かれたよ。直そうと思えば直せなくもなかったけど、ここまで運ぶだけで2000万円も掛かるっていうから処分した。

船は新しくするよ。でもエンジンだけで7、800万もするからな。船も合わせたら軽く1000万は超える。家も建てなきゃならないが、作業場を合わせたら広さが200坪はいる。建てなきゃ仕事ができないから、こんど建てることにしたけどな。

地震は必ずやってくるものなんだから、油断していてはならねえよ

津波では70戸の集落で50人が亡くなったんだよ。こんな小さな町でそうだったんだから、東京とか名古屋とかの都会で地震が起きたら大変なことになるんでねえかな。どんなひどいことになるか想像もできねえな。

地震は必ずやってくるものなんだから油断していてはならねえよ。まあ今年はもう終わりだから来ねえかもしれねえけど、来年あたりは必ず来ると思ってなければな。

津波が来る場所にいたならな、地震の時はすぐに逃げねばならね。とにかく逃げるしか生き残れねえんだ。大切なものとか、あったかい服とかをリュックに詰めてな、寝る時でも枕元に置いとくとかして、とにかく逃げてください。

こんな田舎町の集落でも50人が亡くなったんだ。都会で同じことが起きたらどうなる?リュックを枕元に置いて、いつでも逃げれるようにすることだ。まあ、来年あたりは地震が来るんだと思ってねえとな。

「都会で起きたら大変なことになる」「リュックに大切なものを詰めておけ」「来年あたり来るものだと覚悟しておかなければならない」――。

その三つのことを田村さんは繰り返し繰り返し話してくれました。田村さん自身、再出発するのが大変な状況なはずなのに。

秋の夕方の小さな漁港で田村さんと握手をして別れました。また今度お会いしましょう。もっとたくさんお話しましょうと約束して。

おう、いいよ。オレは港の向こうの田村だ。また会えたらいいな。