貞観地震

1000年以上前に被災地を襲っていた同じタイプの大地震

平安時代に東北地方を襲った津波で運ばれた堆積物の分布が、東日本大震災での津波被災エリアにほぼ一致するということで、話題になっている貞観地震。平安時代前期、貞観11年5月26日(西暦だと869年7月9日)に東北地方の広い範囲を襲ったM8.3以上とされる大地震です。

貞観地震が有名な理由のひとつは、日本の公式な歴史書に地震についての記事が残されていること。「日本三代実録」には、このように記されています。廿六日癸未  陸奧國地大震動  流光如晝隱映  頃之  人民叫呼  伏不能起  或屋仆壓死  或地裂埋殪  馬牛駭奔  或相昇踏  城(郭)倉庫  門櫓墻壁  頽落顛覆  不知其數  海口哮吼  聲似雷霆  驚濤涌潮  泝洄漲長  忽至城下  去海數千百里  浩々不辨其涯諸  原野道路  惣爲滄溟  乘船不遑  登山難及  溺死者千許  資産苗稼  殆無孑遺焉

意訳するとこんな感じです。26日午後8時頃、陸奥の国で大地震があった。まるで昼間のような光が夜空に走り、人々は叫び声をあげ、地面に伏して立つことすらできなかった。あるいは家の下敷きになって圧死し、地割れにはまって埋まった者もいた。馬や牛はいななき奔走し、互いに踏み付け合い、城や蔵、門や墻壁の無残に崩れ落ちたものは数知れない。まるで雷のような音で海が吠え、津波が押し寄せてきた。津波は城下まであっという間に押し寄せて、海からはるか離れた場所まで水に浸かり、原野も道路も果てしない海と化した。船で逃げることができなかったり、高台に避難することができなかった千人ほどが溺死した。田畑も財産も何も残らなかった。

東日本大震災の被災地で2011年3月11日に見られた光景と驚くほど共通する描写だと思いませんか。ここで描かれている城は、現在の仙台市のお隣、多賀城市にあったと言われています。多賀城での発掘では、津波で壊された道路の跡が見つかっているほか、同様の津波堆積物は福島県にかけても広がっています。

それでも、いつ地震が起こるのかは分からない

でも、三代実録の記録と東日本大震災の被害を見ていると、描かれた城がどこなのかは、大きな問題ではないようにも思えてきます。たとえば万里の長城と呼ばれた宮古市田老の防潮堤。たとえば南三陸町の防災庁舎。たとえば女川町立病院。そして、たとえば東京電力福島第一原子力発電所。津波の大きな被害が発生するのはリアス式海岸の三陸海岸だけ、という思い込みは何の根拠もないもので、東日本大震災に見舞われた東北の広い範囲で、過去に同じ規模の大地震と大津波が発生していました。その証拠は日本史の資料の中にも、東北地方の沿岸部の地層の中にもちゃんと残されていたのです。

貞観地震の津波堆積物と思われる地層の下には、同様の地層がさらに2層発見されています。年代測定によると、ほぼ千年の間隔で巨大津波を伴う大地震が発生していた計算になるそうです。東日本大震災の教訓として、日本各地で過去の記録の再調査や津波堆積物の調査が進められています。地道な調査研究によって、これまでに日本列島を襲ってきた地震や津波の歴史が明らかになっていくことでしょう。

しかし注意したいのは、たとえば過去に千年周期で大地震が発生した痕跡が見つかったとしても、それは過去の歴史でしかないということ。地震発生のメカニズムには、まだまだ解明されていない点がたくさんあります。地震発生の頻度を統計的に考える上での資料としても、過去3回や4回分の履歴では不十分。つまり、大地震がいつどこで発生するかは「わからない」としか言えないのが実情なのです。

貞観地震やそれ以前に発生した同じタイプの大地震の発生頻度から「あと1000年は大丈夫」などと考えてはダメなのです。日本列島に暮らす以上、激甚な災害にいつ遭遇してもおかしくないのですから、災害が起こった時の備えが大切なのは言うまでもありません。