今週、娘は特別支援学校小学部の卒業式を迎えます。
入学前のプレスクールでは「床に降りてたまるか」ぐらいの勢いでわたしにしがみついたままビービー騒いでいたので「この先どうなることか」と思ったものですが、始まってみれば学校が好きになって、元気に通ってくれました。新設校に移った最終学年も、弾むようにスクールバスへ乗り込んでいきました。
本当に本当にゆっくりではありますが、できるようになったこともたくさん増えた6年間でした。
欠席
小学校6年間、結果的に病気による欠席はインフルエンザで(土日を挟んだので)数日間、ノロウイルスによる数日間。
あと、熱っぽかったので大事を取って休ませたことが1日あったかな?わたしに似て風邪というものをまずひかないので、上記以外の体調不良で休んだことはないと思います!
遅刻
朝、大パニックになってスクールバスに間に合わず、クルマで送っていったことが、たぶん2回か3回ありました。
早退
娘は体温調節がうまく行かないので時おり熱がこもることがあり、「熱が出たので迎えに来てください」と言われて迎えに行ったら午後はもう熱が下がっていた、なんてことが2回ぐらいだと思います。
でもドキドキ
こうして振り返ると、おおむね順調…だったら朝の支度についてもっと気楽に考えればいいのに、と自分でも思うことがあります。でも、睡眠が安定しない、朝ごはんをなかなか食べない、靴下を履きたくない、バイクの音や子供の大声で突然機嫌を崩す…などなどスクールバスに乗せるまではとにかく気を張り続ける毎日。
長年沁みついたこのプレッシャーとストレスを拭うことができないのです…でも!とにかく6年間、家族3人よく頑張りました。
コロナ禍の2年間
どちらのお子さんもそうであるように、最後の2年間はコロナウイルスの影響をもろに受けました。
学校にも放課後等デイサービスにも行けるとき、学校に行けないけどデイサービスには行けるとき、学校にもデイサービスにも行けないとき、それぞれの娘の状態は明確に違いました。
「家族以外と過ごす時間があること」は親の負担が軽くなるだけでなく、娘なりの社会性を育む、娘の依存先を集中させないなど、心の安定のためにも「絶対不可欠」であると実感します。
なによりも「わたしたち親が死んだら、他の人の支えで生きていく」という現実があるので…だからこそ先生やデイサービススタッフの方々には感謝の言葉しかありません。
コロナと障害
心残りなのは昨年夏のできごと。娘のことを大きく愛してくれて、もちろん娘も大好きだった「ばあば」とのお別れのことです。
ばあばが入院した当初、感染防止のため入院患者への面会は一切できませんでした。その後、状態が悪くなり病室を移るなどにつれて「1日ひとり、30分」「1日3人、30分」と面会の制限が緩和されたのですが、マスクができない娘は、病院の敷地に入ることさえできなかったのです。
ばあばにとって「最良の薬」であったはずの「孫との対面」は叶わず、ギリギリ外出できる体力がある頃、なんとか許可を取り数時間自宅に戻った時に手のひらを「タッチ」したのが最後のあいさつになってしまいました。
せめてコロナがなければ、娘に障害がなければ。考えてもしょうがないことをついつい考えてしまいそうになる日々でした。
報告に行こう!
通夜、葬儀の時は何かを感じ取ったようにいくぶんおとなしかった娘。実家へ行くと、まだなんとなくばあばを探しているような素振りを見せます。
そうだねー、6年間よく頑張ったことを報告しないとね。今週末はお彼岸の連休だけどそれを待たず、卒業式が終わった足でお墓へ報告に行こうか。何度も言ってるけど、お墓の時は手をパンパンしなくていいからね(*^-^*)