新型コロナの影響で遠出を控えるようになった代わりに、近所を散歩する機会が増えました。行き先は日によって変わります。
自宅から徒歩圏内の位置にあっても、初めて通る道やこれまで通過していながら見過ごしていた公園、史跡など、意外な発見があります。
以前伺った資料館で知ったのですが、ここは古墳が多く残っている地域。住み始めてしばらく経ちますが、この散歩を機に見つけたある古墳を見学してみました。
地図で見つけやすい墳丘
JR三島駅から西方面へ東海道新幹線の線路沿いをしばらく歩いていくと、こじんまりとした広場の中央にある小さな丘が見えてきます。
こちらの名称は原分古墳。1400年前に造られた県内でも珍しい墳丘です。
直径16メートル、高さ2メートルと規模的にはそれほど大きな部類ではありませんが、近づいて見ると意外に迫力あります。
『原分古墳(はらぶんこふん)』は、駿東郡長泉町下土狩に所在する直径16メートルの円墳で、古墳時代後期の横穴式石室を持つ東部最大の規模の石室を有しています。
発掘調査の結果、『金銅装(こんどうそう)』の馬具類、『銀象嵌(ぎんぞうがん)』の『鍔(つば)』、『柄頭(つかがしら)』をはじめ豪華な副葬品が数多く出土しました。
道路工事に伴い、現在のJR東海道新幹線北側に移築復元されたものです。
こちらでは、4体の人骨が発見されました。
比較的多く残されている円墳型であること。横穴式石室であること(家族のお墓とされている)。また、古墳の大きさ=被葬者の力の大きさという考えをベースに副葬品から推測すると、県東部の有力者とその家族が埋葬されたのではないか。という見方が強いようです。
始めに掘った長方形の穴に石を並べ、土を盛りながら石をその上に積み上げていく築造方法。出入口をふさぐ石を外せば追葬も可能になります。使われた石の数は392。天井には大きな石が5石使われており、1石の最大重量は9.6トンもあります。
最初の写真でお気づきの方がいるかもしれませんが、この墳丘は本来の形ではありません。頂上部分が山のような形ではなく、平坦になっていることがわかります。
人が上まで登れるようになっており、あえてこうすることで、天井に使用された実際の石の大きさや材質がわかるという工夫が施されています。
ちょうど墳丘の裏側には絶賛工事中の道路が見えます。こちらは都市計画道路の沼津三島線。今は車通りが少ない道路沿いという立地ですが、これが開通されると目に触れる機会もより増えてくるのではないでしょうか。
一方、鉄道路線でいえば新幹線、JR御殿場線の線路に面した場所にあります。車窓からは限られた路線でしか見ることはできないものの、道路、線路といった重要な路線に囲まれているので、地図上で見つけやすい古墳と言えます。「東海道新幹線と御殿場戦が重なる地点」と覚えておくと、すぐにわかります。
ただの散歩から・・・
新しい生活様式に移行する中で窮屈に感じることもあれば、生活スタイルが変わることで気付けることもあります。もしかしたら、散歩に目を向けてコースを変えることがなければ、一生訪れることはない場所だったのかもしれません。
これから夏が訪れて暑い日が続きますが、生活の変化を楽しみながら過ごしたいと思います。もちろん、散歩もなるべく続けていきたいと思います。