前回から引き続き、地域の歴史を学べる施設を見学してきました。
今回は沼津御用邸記念公園です。
昔から知っている施設ですが、初めての訪問です。
こちらも祖母の家から歩いて数分という場所にあるせいか、何度も施設の周辺道路を行き来してはいるものの、あえて見学しようとこれまで思ったことがありませんでした。
沼津御用邸記念公園は、1969年(昭和44年)に沼津御用邸が廃止されたのち、沼津市に無償貸与され、昭和45年に「沼津御用邸記念公園」として開園しました。
明治・大正・昭和を通じて皇族方がご静養された名残をとどめる外観・庭園・室内は、歴史的価値だけではなく、心に響く雰囲気が醸し出されています。
牛臥海岸・島郷海岸沿いに広がっている園内には、複数の歴史的な建造物が残されています。園の南側にあるのは昭和天皇の御学問所として建てられた東付属邸。北側には御用邸として使われてきた西付属邸がありそれぞれ見学できます。
(東付属邸は庭園のみ。西付属邸は入園料とは別料金で中に入れます。)
来園口すぐに西付属邸が見えますが、こちらは後回しにしてとりあえず先に進みます。園内の大部分は松林です。しばらく進むと馬屋を改装した喫茶店もありましたが、こちらもスルー。さらに園の奥に進んでいきます。
ちょうど公園の真ん中に位置するあたりに到着しました。この場所にあるのが歴史民俗資料館です。沼津に暮らす人々の生活の様子や産業に関する資料が残されています。
沼津と漁業
館内の1階には漁業の用具(実物)や作業の様子がわかる写真などが展示されています。かつて漁業は内浦・静浦といった現在の沼津市内の南側に位置する地区を中心に発展してきました。
漁法は網・釣がありますが、マグロやカツオなど大きな魚を獲るためにこの地域で主に使われた手法が建切網漁(たちきりあみりょう)だったのだそうです。内浦湾の形を生かし魚を追い込むことができる手法で、江戸時代から始まったいうことです。
また、漁るだけでなく自分たちで育てる養殖や魚の加工なども沼津の漁業の発展には欠かせないものでした。中でも個人的に最も印象に残っているのが、干物の歴史。今となってはいろいろ名物が出てきていますが、自分の中では沼津と言ったらやっぱりアジの干物です。
かつては沼津の名物として挙げられていた水産加工品は鰹節だったのだそうです。カツオは1年中獲れる訳ではないため、こうした加工品の製造は漁師の副業として取り組まれてきました。
また、イワシの煮干も同様に製造されていました。しかし、昭和に入り戦争を機にイワシの水揚げが大幅に減ってしまったのだそうです。そこで大きく発展したのが、鯵などの干物づくりでした。
干物のルーツ
歴史を知る前に、まずは製造工程を学びます。
【アジのヒラキの製造工程】
1. 腹を開く
ひらき包丁で腹を開いてはらわたを取り除き、水洗いする
2.塩汁につける
塩汁(しょしる)と呼ぶ漬け汁につけて、味付けする
3.水洗いと乾燥
水洗いした後、せいろに並べて天日に干す
4.出荷
乾燥したヒラキを形の大小に選別して、出荷する
引用元:沼津市歴史民俗資料館
手作業で1枚ずつ開き、乾燥させるまでの流れは今も昔のままです。
干物の製法は大正時代まで遡り、小田原から沼津に移り住んだ飯沼氏という方からもちこまれたとされています。これまでの製法ではなく、改良したことが発展につながりました。
例えば、塩汁(魚を漬ける際にに使われるつけ汁)の塩分濃度を高くしたことで魚に塩が早く浸透。魚の旨味成分を逃さず、手早く生産できるようになりました。
また、より短い時間で魚を干すことにしました。魚の水分が少し残っている状態のまま保存。こうすることで従来の硬い干物(保存重視)ではなく身が柔らかく食べやすい干物を製造できるようになったとのことです。
ちなみに飯沼氏が築いたお店は今でも残されています。お店の名前は「小田原屋」。沼津駅から南側に向かって少し歩いた先にあります。このお店が沼津の干物の発祥だったとは。干物が売っている場所となると、沼津港の周辺ばかりに目が行きがちですが、やっぱり元祖を一度食べてみるのも大事ですね。今度行ってみようと思います。
大正の始め、小田原の地より、沼津に移り,始祖飯沼佐太郎が、苦心研鑚の上、編み出したうしほ味を元に銘産沼津のひものとして、つくり始めました。
干物作りに適した気候(乾かすために必要な風が吹きやすい)や大規模消費地の関東圏への近さもあり、干物の生産量は昭和初期から増加していきました。一時期は全国で生産されるアジの干物のうち、半分は沼津産だったのだとか。平成に入ってからは40%前後に留まっているものの、国内の代表的な生産地であることは依然として変わっていないそうです。
学校でもアジの干物
自分も学生のころに何度か食べた経験があるのですが、沼津市の小中学校では給食にアジの干物が登場します。見た目ではあまりわかりませんが、家庭で出されている干物とはちょっと違います。
給食で出される干物は、素揚げされているのです。当時、家で焼かれた干物を食べていたのですが、焼くよりも揚げる方が骨を気にせずボリボリ食べられますし、魚の旨味が凝縮されているような気がして味的にも好みでした。
そのほかの展示も一通り見終わりました。(資料館の2階では農業や日常生活で使われていた道具などが展示されていました)
今でも日常的に食べている沼津で加工されたアジの干物。あの絶妙な塩加減や身の柔らかさは小田原から始まり、何度も改良されたのちに行き着いたものだったのですね。沼津の名物について学ぶことができて満足です。
食べ物を深く知ることでより美味しくなるのかもしれません。もちろん、その日の夕飯はアジの干物にしました!