震災から7年が経過して、多くの仮設住宅が閉鎖されている。多くの仮設住宅が閉鎖されるということは、そこから引っ越しする人がたくさんいるということだ。まちの再建が遅れている陸前高田市でも、ことしの3月末日をめどに、学校関連の敷地に建てられた仮設団地のすべてが閉鎖される。
引っ越しニーズがたくさんあるのだから引っ越し業者が大活躍するのかと思いきや、決してそんなことはない。3月に入って引っ越しセンターのトラックが目に着くようになったかというと、ほとんど見かけることはない。
それはなぜか。
被災した仮設住宅入居者には、行政から引っ越し費用が支給されるらしい。しかし、それは1世帯につき1回のみ。
住む家を再建して仮設住宅を出るのなら、そのための引っ越しは1回だけだろう。2度も3度も引っ越しするのは自己都合に過ぎないということになる。
しかし、事情はそう単純なものではない。自分の住む家がまだ完成していないから、やむを得ず仮設住宅から仮設住宅に転居せざるを得ない人もたくさんいる。仮設を出てまた仮設に入るというのは大変なご苦労だ。その上、本来なら引っ越すべき家を建てられない理由が行政による宅地造成の遅れというケースが少なくないのだから、引っ越し費用の補助が1回だけというのは理不尽な話でもある。
とはいえ、子どもたちの学び舎であるグラウンドを仮設住宅で占拠している状況は、住まう人たちにとっても本意ではない。本年度以内に撤去という行政の方針に異を唱える人はほとんどいない。
しかし、引っ越し業者を使うほどの余裕がある人はほとんどいないから、多くの人は自力で、あるいは知り合いに手伝ってもらっての引っ越しということになる。とはいえ冷蔵庫や洗濯機のような大きなものを運ぶには、それなりのノウハウや人力が必要だ。だから、今年の3月は引っ越しボランティアが大活躍することになった。
冒頭の写真のクルマには「南相馬」の文字が見える。ナンバープレートは愛知県のものだ。しかし話を聞いてみると、この車両がふだん置かれているのは青森県だという。つまり、愛知県の人が被災地支援のために自動車を青森県にデポしておいて、東北沿岸部各地でのボランティア活動に利用しているのだ。
この日の引っ越しボランティアも、仮設住宅から仮設住宅への転居だった。
衣類や身の回り品、調理道具などは自分たちでほぼ運んだが、冷蔵庫と洗濯機、それと自作した雨よけの小屋根は大きくて自分たちでは運べないので、知り合いのボランティアに依頼したとのことだった。
ボランティアとしてやってきたのは総勢6人。各地からニーズのある場所に必要とされる人数だけが集まってチームを組んで活動し、翌日にはチームをばらして別の場所で活動するのだという。
ボランティアのプロみたいな人たちだから実に手際がいい。移動距離が短かったこともあるが1軒の引っ越しが1時間ほどで完了。「今日はここを含めて3件。少ない方ですよ」とリーダーのYさんは笑った。
南相馬のステッカーを貼ったクルマのドライバーに「Dさんって知ってる?」と聞いてみた。
Dさんというのは、南相馬でがんばっている神奈川在住の知人だ。ドライバー氏は「うん、昨日一緒だったよ」と即答した。
できる人が、できる時に、できる事をする。
引用元:南相馬 災害復興支援ボランティアのTシャツ背面に記されたことば
震災から7年。たとえば、仮設から仮設への引っ越しがどういうことなのかを知っている人の言葉であり、はたらきである。