【振り返り・仮設住宅】7年という時のながさ

大好きな80代の友だちが4月に引っ越す予定の仮設住宅。遠くに海は見えて最高なんだけど、町の中心からの標高差はたぶん100m以上あるだろう。いま住んでいる仮設住宅の仲間たちとも離れることになる。買い物とかお出かけとか心配ごとがいっぱいのはずなんだけど、いまの仮設の中ではいちばん毅然としている。だからこそ心配なんだけど

書いていいのか止めるべきか。でも書くことにした。

誰が7年という時間をあがなえるのか

かれこれ3週間前のこと、陸前高田市でかつては二番目に大規模だった仮設住宅の集会所でお茶っこしていた時のこと。顔見知りの人たちばかりで、のんびりおしゃべりしていたのだが、珍しく(というのは私の勝手な思い込みに過ぎない)地域委員の方がやってきた。

ふだんからしょっちゅう顔を合わせている人たちのなかに、いつもお世話になっているとはいうものの行政の側の人が加わったことで話題が変わった。(いや、そう感じたのは私だけで、TPOで自然と話の内容が変化しただけなのかもしれない)

「ずいぶん人が減ったけど、こうして交流してるのはいいことだね」とか「で、ばあちゃんはどうしてなさるの?」とか、そんな話。

ふだんのおしゃべりが、「去年は干支の酉のマスコットをいっぺえ作ったけんど、今年は戌年、どんなのつくるっぺかなぁ、犬っこは難しいべなぁ」みたいな感じだから、まあ90度とは言わないまでも、70度くらい立ち上がったような雰囲気があった。

そんな中で、誰かが「あぁ、残念なんだけど、そういえば」と切り出した。

「そういえば、3年前くらい前までXのX(たとえば15号棟の3号室みたいなことを、この仮設団地ではこう言う)にいたKさん、亡くなられたんだってね」

傘寿をとうに過ぎた人が応える。

「でもなあ、とにかく新しく建てた家に住めたんだから良かったべな」

最初に口を切ったお母さんが遮るように言う。

「ううん。あの人んち、まだ建ってないのよ。ここから出て、いったん災害公営住宅さ入ってて、そこで亡くなられたの」

「え、え〜、だってKさん、ここにいたときから、新しい家はどんな間取りにして、息子ん家族はどこさ住まわせてって、家のことばっか楽しみにしておられたでしょ」

「うんうん、Kさん、新居さどうする、どんな間取りにするって、そんな話ばかりしてたよ、オラにも」と別のお母さんが言う。

「うん、そうよ。でもね、ついこないだ亡くなられたんだって」

「いやあ、だってさあ、Kさんとこは敷地の受け渡しも終わってるっしょ。もう建てるばかりだったじゃないのよ。それに、もう建ったって話も聞いてたのよ」と80過ぎのお母さんは言い張る。

「だからね、ほとんど建ってはいたんだけんど、引き渡しになる前に亡くなられたんだって」

「いやあ、だって…」

「でもね…」

みんな言葉をなくした。みんな身につまされる話だった。

沈黙にたえかねてお茶をすする人もいた。すすらない人もいた。

しばらくして、二番目に声をあげてお母さんが声を上げた。

「そうやってぇ、やってるんだ。ばあちゃん(傘寿過ぎのお母さんのこと)だってぇ、オラたちたってぇ。ばっちゃん、元気でいくぞ〜、オラたちもな〜」

あとは言葉にならなかった。

およそ10日後、この仮設住宅の集会所で、同じ敷地内にある高校生との交流があった。訪ねてきた高校1年生たちに聞くと、「震災の時は小学3年生でした」。7年だもの、当たり前だよねとお母さんたちは言った。震災の年に生まれた子が7歳になる。10歳だった子が高校2年生になる。中学1年生だった子たちは二十歳だ。二十歳だった子たちははもういい大人。そして還暦を迎える年だった人はもうすぐ喜寿で、八十歳だった人はじきに米寿となる。子どもたちが成長していくように、年寄りはより高齢になる。ただ、若い人たちには未来がたくさんあるかもしれないけれど、高齢者の「時間」は年々減っていく。

この仮設団地に残っている人たちは、ほぼ全員、自宅を再建する予定でいる。長いこと自治会長をしていたおっちゃんは去年の年末になってようやく高台に自宅を再建した。残ってるみんなも、「遅くはなったけど再建すっぺ。みんな同じ頃だかんな」と励まし合っている。80過ぎのお母さんもそうだ。だけど、再建すべき土地の造成工事が終わっていない、たとえばずっと下手の水道工事が滞っているからといった理由で半年、今度はダンプカー入れるのに水道管が邪魔だからって一旦撤去して、もう一回入れ直すからってまた半年、と新居の建つ場所の造成工事が先延ばしになり、その結果、仮設住宅を出てからもう一度、別の仮設住宅に引っ越さなければならなくなっている。

元々は学校のグラウンドだった場所だから、早く生徒たちに返して上げたいという気持ちは、仮設住宅に暮らす人たちみんなが強く思っている。だが、この場所を出ることで、これまで長いことずっと培ってきたつながりが遠いものになってしまうことを、みんな苦しく思っている。

「仮設住宅を出るのはいいこと」というウソ

仮設の問題を考えていると、かならず遠くから聞こえてくる声がある。「仮設住宅から出られるということは、いいことなんですからね」

それは、東京あたりから全国放送の電波で送られてくるキャスターの声でもある。しかし遠くから聞こえてくる声だけではない。同じ言葉をこの土地でも何人もの人から聞いた。いやになるくらい何度も聞いた。どこか都会のニュースキャスターと見まがうほど美しくて怜悧な印象の人の口からも同じ言葉を聞いた。

どうもそういうことを言う人は、シュッとしてつるっとした人が多いような気がするのは気のせいだろうか。

だけど、ちがう。ぜったいに違う。たとえ唇とか眼の回りとか首筋にもシワがいっぱいよっていたって、それでもまるで少女のように輝く瞳をしているおかあさんたち、お茶っこ&おしゃべりに混ぜてくれる愛すべきおかあさんたちから、そんな軽々しい言葉を聞いたことはないのだから。

彼女たちからそんな話、聞いたことないのだから。

仮設を出て「めでたし、めでたし」なんかじゃない。

みんな、その次、そして次の次を考えてる。

仮設ぐらしは大変だったけど、助け合って支え合える仲間ができた。このつながりを、次の「本設」につなげていかなければね。それもまた大変だろうけど、やっていかなきゃね。そのためにも、ちょっとの間、離ればなれにはなるけど、支え合って行こうね。

仮設を卒業するということは、そういうことなのだ。

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