お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが「お菓子まきがあるよ」と誘っても、「ここがいいの!」
ふたたびアバッセ北側に目を転じると、駐車場脇のベンチで携帯ゲームに興じる小学校高学年の子どもたち。
「こうして子どもたちがのびのび遊べるこどもの日って、やっぱりいいね」「アバッセができてよかったね」など大人たちが語らっているのなんてお構いなし。
子どもたちはそれぞれに楽しいこどもの日を過ごしているのだった。
ゆめちゃんのお買い物
ふたたび時間を少し巻き戻しつつ、アバッセの建物の中へ。たかたのゆめちゃんは、餅まきが始まる30分も前にアバッセに到着していたのだった。陸前高田のゆめ大使として全国を飛び回るゆめちゃんが、多忙なスケジュールをやりくりしてまで早めにアバッセにやってきたのは…
「かもめの玉子」で有名なさいとう製菓でケーキを買うためだった。
ゆめちゃん、どうやってケーキ食べるの? なんて大人ぶったことは言いっこなし。今日はこどもの日なんだから。
ケーキを買った後には、八木澤カフェなど他のお店も賑やかしに訪問するあたり、ゆめちゃんはなかなか大人びてもいるのだった。
子どもたちのすてきな発想
「ママ〜、餅まきまでの時間つぶしに折り紙してていい?」
なんて理由を付けて、午前と午後の2回行われた餅まきの前後、パブリックスペースの子ども遊び場にはたくさんの子どもたちがやってきた。
口では時間つぶしなんて言ってたけれど、折り紙をつくる表情は真剣そのもの。折り方を知っている折り紙をせっせと折ったり、折り方を忘れた折り紙を教えてもらいながら折ったり、折った折り紙を遊び場の飾り付けに提供したり。
「ここに遊びにくる子どもたちに楽しんでもらおう」という呼びかけに応えて、どんどん折り紙をつくってくれた。
自分の作品を遊び場の飾り付け用にプレゼントする少年のこの表情。贈り物をするのはうれしいことなのだ。たとえ受け手が見ず知らずの誰かであったとしても。きっと誰かがよろこんでくれると知っているから、うれしいのだ。
紙工作で新聞紙をぐしゃぐしゃに丸めていたら、「それ貸して」と小さな子どもが受け取って、丸めた新聞紙を半分広げて帽子のようにかぶる。
まあ、なんてお似合いなこと!
小さな子どもの発想に、お母さんも近くにいた子どもたちも大人たちも拍手喝采。
その頃、折り紙用のテーブルの上では、花のボール(「高校球児たちが咲かせる花」参照)のパーツを使ってこんなアートが誕生していた。
大きな花を作るための部品としてしか見ていない目からは、とうてい生まれないアート。発想の勝利!
ちょっと前まで子どもだった大人たちも負けてはいない。濱守栄子さんのミニライブでMCをつとめた女性は、「わたし、アンパンマンが好きなんです」と、紙で作るアンパンマンこけしを製作中。この写真、ライブ開始の数分前。濱守さんはすでにほぼスタンバイ完了していたのだが。
MCしながらアンパンマンこけし作ってれば? とおふざけでプッシュしてみたら、「それいいですね」とピース。(実際は、もちろんMCの仕事はしっかり務めていらっしゃいました)
子どもたちの遊び場の一角には、こんな仕掛けも。
誰が遊びにくるのかは知らない。だけど、ここで遊ぶのはみんな友だち。だから、知らない誰かに遊びをとおしてメッセージを贈る。
お行儀がよかったり悪かったり。元気いっぱいだったり、たまにはそうではなかったり。泣いたり駄々をこねたり。当人はふつうにしているつもりが、周囲を笑顔でいっぱいにしたり。
いろいろあるけれど、放っておいたら、自然とつながっていく。友だちになっていく。
子どもは大人。大人も子ども。大人だって子どもだし、子どもだって大人だ。大人であることって少しだけ鼻高々な気分だけど、子どもであることって気持ちいい。
たくさんの人たちが童っ子(わらしっこ:子ども)になった陸前高田・アバッセのこどもの日。