岩手県岩泉町の小本川沿いを走る。国道から橋を渡って対岸の道に入りしばらく進むと突然、「道がない!」
道路が流され排水管が飛び出していた。20mほど先には壊されていない道が見える。その先は坂を上って国道へつながる橋。ほんの20mほど道が分断されているせいで、来た道を戻らなければならなかった。
水害の直後から岩泉で働くボランティアさんの話では、「それでも、いまではずいぶん楽になりました」とのこと。発災直後は言うに及ばず、隣の集落に行くのに何時間もかかる状況はつい最近まであったのだそうだ。
岩泉町は市町村の町として本州で一番面積が広い。救援や支援に向かうため何時間もかかることが、復旧がなかなか進まない一因だったのは間違いない。
元来た道を戻り、対岸の国道から行き止まりだった集落を眺めると、川原からずっと高い場所に神社が見える。作業小屋のような建物も見える。あるいは、この場所は水害の常襲地域だったのかもしれない。大規模災害の後、よく耳にする「人が住んでいるから災害になる」という話を思い出さずにはいられなかった。
別の場所にはこんなところもあった。
ここも国道から小本川を渡った対岸の山道。車が離合できないくらいの細い坂道を上っていくと、登り坂が終わった所で突然の道路崩壊。案内表示もバリケードもなくいきなり「道がない!!」状況。アスファルト舗装が落ちた先は谷底まで深くえぐれ、崩壊はまだ終わっていない様子。このときはマジで焦った。Uターンもできない細い道だったので、数100mもバックで下って戻った。緊張した。
そう言えば、危険箇所のひび割れに施された赤いマーカーを東日本大震災での道路崩壊現場でもたくさん目にしたことを思い出せたのは、安全な場所まで下ってUターンした後だった。
実は、この山道の崩壊の方を先に経験していたので、冒頭の場所では案外冷静に対応できたということもあったのだが。
台風10号で大きな被害を受けた岩泉町では、国道など主要な道路の復旧は進んでいる。しかし、国道の対岸など、別に代替道路があるような場所では、いまもなお危険な場所がたくさん残されている。