3月13日、陸前高田で震災写真展が始まる

コミュニティホールのエントランスでは、語り部の釘子屋さんによる震災写真展が始まり、訪れる人が写真に見入っていた。

釘子明さんは言う。「陸前高田の人は震災を忘れてしまっている。外の人たちよりもむしろ、被災した人の記憶が風化している」と。

震災当日の写真、避難所の生活、炊き出しや七夕山車の倉庫を改造したお風呂の写真、さらに熊本地震の写真もある。

そして、被災した陸前高田市役所の写真も。

釘子屋さんの写真展には明確な目的があった。それは現在問題になっている陸前高田市役所の移転問題。高田小学校跡地と現在プレハブ庁舎がある栃ヶ沢の高台の2案を軸に検討が進められているが、市が小学校跡地案を推しているのは明らかだ。

しかし、高田小学校は被災している。建物の被害こそ少なく、現在も小学校として利用されてはいるが、浸水地域ということで小学校は高台に移転される。

浸水地域だから移転される小学校の跡地に、市役所を造っていいのか。市役所庁舎の移転問題は3.11前から市民の間で大きな関心事になっていた。

陸前高田では震災で111人もの市職員が犠牲になっている。震災後は市としての機能が失われた。過ちを繰り返していいのか。

一方、小学校跡地案を推す声には、現在整備が進められている中心市街地に近いこと、市役所があることで市街地の活性化に効果があるという意見もある。

「町のにぎわいは人間がその気になればどうにでもなる。市役所がなければ商店街のにぎわいがつくれないなんて話は論外だ」

3月13日朝、写真展の準備をしながら釘子明さんはそう語った。

3.11であの日のことを思い、そして再び日常が始まる月曜日。

写真展が始まったのが3月13日だったということには意味があるように思う。

写真展の2日後の3月15日、市議会で庁舎移転に関する採決が行われた。結果は、小学校跡地移転案否決。市民の多くが「意外」と感じる結果だった。