猫くんがぶーたれた顔して座っているのは線路の敷地内。
振り返ると、線路の反対側にはキジの姿があった。シャッター音に気づいてバサバサと近くの山に飛び去っていってしまったが。
キジを狙っていたところに、とんだ珍客(つまりわたし)が間に割り込んできたので、猫くん、きっと機嫌を損ねてしまったに違いない。最初に目が合った時には、雑草の薮に隠れるようにして、キジの方へとにじり寄ってる最中だったから。
ここはJR大船渡線の越戸内踏切。津波で被害を受けてBRTに路線変更された土地に残された踏切。つい1週間前までは踏切部分の線路は残されていた。半年前に同じ場所で撮影した写真はこんな感じだった。
踏切から陸前高田方面の線路はすでに撤去されて草ぼうぼうだったが、踏切の上のレールは残されていた。
ところが、2月5日の日曜日に行ってみると線路は撤去され、道路整備の工事現場になっていた。「小さな驚き」を覚えたわたしは路側に車を停めて、写真を撮ろうとかつての踏切内に入った。そこではからずも猫くんのお楽しみを妨害し、またキジくんの危機を無意識のうちに救ってしまうという役柄で、小さな野生の王国的ドラマの参加者になってしまっていたのだ。
ぶーたれ猫くんには申し訳ないが、踏切だった場所からレールが無くなることは、驚きの大きさとして必ずしも「小さい」とは言いきれない。
知識として、この踏切に列車が走ることがないと知っていても、車でこの踏切に差し掛かると無意識に一旦停止してしまう。東日本大震災の影響で路線が変更された踏切には「廃止」と書かれた札も掛けられていたりするから、一旦停止する必要はない。それでも踏切を見るとついブレーキを踏んでしまっていた。
ついブレーキを踏んで、一旦停止してから思うのだ。この線路を列車が走ることが未来永劫ないだろうということを。そして、BRTによる路線変更が、単に列車がバスに変わったというだけではなく、かつて陸前高田と気仙沼の間は山越え路線だったものが海岸沿いにルートごと変更になったこと。陸前高田の矢作から、気仙沼の鹿折を結ぶ山の道が廃れてしまうかもしれないということ。それでも地元には線路の復活を信じている人がいること。鉄道よりもむしろ矢作経由で陸前高田と一関が直通バスで結ばれてほしいと願っている人がいること。
現場の脇には撤去されたレールや枕木、鉄道時代の排水溝やら何やらが積み上げられていた。
踏切名の表示板も抜き取られて置かれていた。もうここは踏切ではないことを告げているかのように。
現場を挟んで道路の両側では側溝の工事も進められている。越戸内踏切だった場所も道路として均された上で側溝がつながって、しばらくするとここに踏切があったことさえ分からなくなってしまうかもしれない。
踏切で一旦停止する必要もないし、段差を乗り越えるために減速する必要もない。つまり、そういうこと。ここで行われている工事は、道路の利便性を高めるためのもの。路線が廃止されてからずっと、時々車が通るくらいだったこの場所は1週間ほど前から、人の暮らしのための工事現場になった。
しかしこの日は日曜日で、この現場の工事はお休み。線路敷地や周辺は、つかの間、自然の王国状態に戻っていたということだろう。
踏切がなくなることで、鉄道線路が戻ることがないという現実に動揺してしまう人もいるかもしれない。強引な工事だと反感を抱く人もいるかもしれない。他方、段差がなくなって便利になったと感じる人もいるだろう。いろいろ考え込んでしまう人もいるかもしれない。
ただ、そんなこともひっくるめて、人間の世界の中の話でしかない。
工事がお休みになれば、ここは近くにたくさん生息しているキジや野鳥の楽園の様相を呈する。セキレイやスズメ、たくさんの種類のカモ、カラス、トンビ、明らかにトンビではない鷹類。海から何キロも離れているのに、上空にはカモメが群れなして飛び交っているし、近くではオオハクチョウが編隊飛行する姿を見かけることもある。そして、本気なのか遊びなのかハンティングを挑む猫たちもいる。夜になってから車を走らせる時には、シカやカモシカとの衝突に注意しなければならない。タヌキやキツネやアナグマなんかが生息しているのは間違いない。
野生の動物たちにとって、踏切のレールの撤去とか列車が走らなくなったことがどれほどの意味を持つのだろうか。むかしからこの場所は彼ら彼女たちの生活の場だし、おそらくこれからもそれは変わることはない。そして鉄道路線が廃止されれば、それまで線路沿いに遠慮していた植物たちも路線内に生息範囲を拡大し、またたく間に線路の敷地は薮になる。人間の行為によって造られたり壊されたりした環境も、自然の一部、というか生き物たちの生息の地になっていく。
ここが自然に溢れた田舎だから特別というわけではないはずだ。都会でも、見えないところで人の生業と自然の営みは交差しているに違いない。人間だって大きな自然の一部であるのは確かなのだから。
何が言いたいのかって?
震災後に造られた防潮堤がいまは真っ白く無機質に輝いていても、何十年もそのままではないだろうということ。そして、復興事業としてこれからつくられていく美しいまち(きっと小さな都会といった感じの美しい街になるのだろう)が何十年か後にどうなっているのかということ。廃されて変化していくものと、新しく造られて変化していくものを、まるで並べるようにして目にしていると未来を考えずにはいられないということ。新しいまちが人の暮らしの場であり続けてほしいということ。