「こんとき」は釜石ラーメンの名店として知られる。ご主人の紺野時男さんは奥さんと2人で屋台のラーメン店からスタート。その後、飲屋街に店舗を構えた。釜石は新日鉄の起業城下町であり、また漁師町でもある。こんときがオープンした当時は、鉄も漁業も熱気にあふれていた時代。当時ラーメンは、サラリーマン家庭では給料日に家族で食べにいくごちそうでもあったという。羽振りのよかった漁師たちを待たせないため、独特の細麺が釜石のラーメンの特徴として定着していく。
ラーメンという庶民的な食べ物に秘められた歴史も興味深いのだが、こんときのラーメンにはもっと大きな感動がある。それは味。透き通ったあっさりしたしょうゆ味のスープに込められた、ご主人の創意工夫は並大抵のものではない。飲屋街で営業していた店だから、お酒を飲んだ後の「締め」として食べにくるお客さんが多い。そんな人たちのことを考える中で、味わいが深いのに脂っこさやしつこさのないすっきりした味わいが形づくられていった。
そんな物語だけでも一冊の本になるほどだろう。しかし、こんときのラーメンにはもっと大きな感動がある。それは味わいが食した人に伝えてくれるやさしさだ。
お酒を飲んだ人の体調を考えたやさしい味わいのスープと、しっかりコシあって、なおかつ胃もたれしない細麺。でも、こんときのラーメンの味わいは、そんな分析可能な要素だけで形づくられているものではない。
初めてこんときを訪れたのは、ラグビーワールドカップの競技場建設予算が8億円も増加する可能性があるというニュースが伝えられた日だった。お昼時の店内ではその話題を語り合う人たちが何人もいた。ご主人の紺野さんは、店内を忙しそうに動き回りながら、お客さんたちとちょっとした会話を交わしていた。
いちげんのわたしに対してさえ、お客さん、うちは初めて? どこから来たの? そのバッグいいね、など短いながらも言葉を交わしてくれた。そのことばと笑顔には、腹を満たすための物ということとは違う意味、人が食べるのは生きていくことと同義であるという真理があった。人は幸せを感じるために食べているという、忘れられがちな、しかし厳然たる真理が。
店を出た後、この日は用事で釜石から遠野まで走った。遠野の山間部では小雪が舞っていた。それでもわたしは暖かさを感じていた。体も心も。
味覚には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つの要素があると言われるが、こんときのラーメンにはもうひとつ大切な要素がある。それこそがやさしさ。
ラーメンの写真を見て気がついた。レンゲの中のスープに浮かんだネギがハートの形をしている。
釜石ラーメンのこんとき。このラーメンは至高だ。
こんとき
釜石はまゆり飲食店街