お世話になっている知り合いの仮設住宅で作業などさせてもらっていると、昼間に裕次郎か何かの歌の口笛が聞こえてくる。口笛だけでなく「毎度、ごひい〜き、ありが〜とおっ」と決まった節回しの歌声も交じる。
さすがに裕次郎の口笛だけでは分からないが、歌声で誰が来たのかは分かる。仮設住宅がある地域の区長さんだ。区長さんは町からの配布物(自治体の広報誌や議会だより、地域交流会の案内など)の配布やら、ボランティア団体の受け入れ準備などで週に6日は仮設住宅を回っている。
おたよりのポスティングは区長さんだけでなく、地域見回り隊みたいなボランティアや行政の人なんかもして回る。もちろん仮設住宅の自治会長さんからの連絡とか回覧板もある。シュッとしたイケメンでオヤジバンドのボーカルも務める会長さんも「よおっ!」とか「おはようっ!」と声掛けするけれど、区長さんの口笛やコブシの効いた歌声は、何とも言えぬ独特なものを感じさせる。
最初にその声を聞いた時には、以前から何度かご一緒したこともあって、朗らかな人柄だからなぁくらいにしか感じていなかった。しかし最近ではそうでもないかもしれないと思うようになった。その仮設住宅の入居者の大半は元々陸前高田市の住民だった人たちだが、中には近隣地域の人もいたらしい。比較的早い時期に開設された仮設団地だったこともあり、車で1時間半以上遠方の大槌辺りの人もいて、自治会長さんはずいぶん苦労されたらしい。
田舎に限ったことではないのだろうが、どの町も地域組織の運営には『土地それぞれ』のやり方がある。長年続けばそれはしきたりのようなものにもなる。たとえ元々同じ市の市民であったとしても、市内各地域や町内によってやり方も考え方も違うし、長年それに慣れ親しんで生活してきたことを考えれば、さまざまな地域出身の人が入居することになった仮設住宅では小さな喰い違いとか齟齬が生じやすいことも想像に難くない。たとえ小さな差異であっても、それが元でまとまりが損なわれることもあったことだろう。
だからこそ、都会のように郵便受けに黙ってお知らせをポスティングしていくなんてことはできないし、自分が来てるとお知らせすることで、用事のある誰かとコミュニケーションできるかもしれない、などなどいろいろな意味があっての上での「毎度、ごひい〜き、ありが〜とおっ」なのだと思う。
自治会長さんや区長さんが「昔は大変だった」と口を揃えるのを何度も聞いていると、タイヘンという言葉の意味が、少しずつながらも具体的に想像できるようになってきた。実際に、小さなタイヘンはたくさんある。ごくごく小さなものでは駐車場問題もそのひとつだろう。
地方での生活には車は不可欠だから、仮設住宅には必ず駐車場が併設されている。とはいえそんなに広大な敷地があるわけではないから、一世帯に一台分、部屋番号と同じ番号が割り振られた駐車場が設定されているところが多い。ほぼ全世帯が埋まっていた頃には駐車場も満杯で、震災の後、ボランティア活動で仮設住宅を訪問した時などには、車をどこに駐めたらいいのか悩むこともあった。
しかし最近では、仮設住宅団地の統合が進むほど入居者は少なくなっている。よって空いている駐車場もある。そんなところに「どうせもう住んでいないだろうから」と業者さんとか仮設団地入居者以外の人が勝手に車を駐めてしまうことがしばしば。
ちょっと買い物に行って帰って来たら自分の駐車場が他の車、それも見たこともない車でふさがれていた。これはびっくりだ。どうせ空き部屋の分の駐車場は空いているのだから、空いてるところに駐めておく手もあるが、空き部屋とはいえ仮設住宅を契約解除せず荷物置き場として使っていて、時々は戻ってくる人も多かったりするものだから、やはり気になって何度も駐車場の様子を見に行ったりしなくてはならなくなる。
「臨機応変。基本は相身互いで助け合うってことっすから、何とかなるもんですよ」という仮設自治会の人も知り合いの中にはいる。たぶんそんなふうに、大らかな方針で運営しているところの方が多いのかもしれない。しかし気の弱い人にとっては、いくら仕方がないといっても他人様の駐車場に無断で自分の車を駐車することに抵抗を感じる人は少なくない。結局、ガマンのしわ寄せは個人が被ることになる。
体育館とか公民館といった公共施設の敷地に建てられた仮設住宅では、駐車場にも「この先は仮設入居者用」と表示がされているところもあるが、イベントで地域の人がたくさん集まる際には、仮設用で空いているところに勝手に駐められてしまうこともある。
別の知人には、消防訓練と公民館のイベントが重なった日に仮設の駐車場に無断駐車されてしまって、交通整理をしていた消防団の人に相談したところ、訓練中の消防団員はおろかイベント会場でもマイクで呼びかけるなど「あんまりにも大ごとになってしまったから」と、それ以後は同じような迷惑なことがあっても、自分の仮設の部屋の近くに路駐するようにしているとこぼす人もいる。
同じ車がいつも無断駐車するから、ワイパーに「ここは仮設の駐車場です」と書いたメモを挟んだんだけど、よくよく考えたら、この地域の人たちにとっては仮設の自分たちの方がお邪魔させてもらっているのよねと、メモを挟んだことを後悔しているのだと何度も何度も話す人もいる。
思い起こせば、避難所から仮設住宅への入居が進んだのは震災の年の秋のこと。元々の居住地とは関係なく抽選で仮設住宅が宛てがわれるケースが多く、孤立の問題が心配されていた。引きこもりや孤独死を起こさないようにと、地元の人たちはもちろんたくさんのボランティアも活動していた。
あれから5年。今にして思う。自分自身も仮設の問題をひとつの側面からしか理解しようとしていなかったのだということを。津波の前、住み慣れた町でのお隣さんとは別の人たちが抽選で選ばれて隣人になる。近所付き合いをゼロからやり直さなければならない。当初はあくまでも「仮り」の「ほんの短期間」との触れ込みだったから、しばらくガマンして静かにしていればと考えた人も少なくなかったろう。それはそれで大きな問題だったに違いないが、ほんの数年との覚悟の上であったとしても、実際に暮らしていく中では、たくさんの問題、解決されることなく置き去りにされた諸々があったのだということを。
駐車場のことはごく小さな例に過ぎぬ。夜中にカップ麺をズズズッとすする音や、エアコンの室外機の音まで気にしなければならない。構造上の問題なのかなぜだか外の音がよく聞こえる仮設住宅が多いので、外で誰かが話をしていると自分ちの悪口を言われているのではないかとつい聞き耳を立ててしまう。先々のことがあるから節約しようと夏場にエアコンを使わずに窓やドアを開け放していると、熱中症にでもなられると困るからと心配されたりする。4軒長屋や6軒長屋の1号室であっても、4号室や6号室の音や振動が伝わって来て、誰が何をしているのかまで分かってしまう。逆にうちの騒音も筒抜けなのねと慮って生活するようになる。家族間でももごもご小声で喋ることが習慣化してしまって、互いに意思疎通ができなくなってしまう。小さな子どもを無理矢理黙らせる。引きこもりで飲んだくれのジジイと後ろ指さされるオジさんが、実は一升瓶の栓を開ける音すら気にしていたりする。
最初は2年と言われていた。2年なら『仮り』の時間として流せるかもしれないと思っていた人も少なくなかったろう。しかしとても2年じゃ無理だと3年になった。その後は延期延期で5年となった。
仮設住宅を訪問してのボランティア活動を続ける中、複数の仮設住宅の自治会長さんとも懇意にさせていただいた。オレが引っ張っていくぜというタイプの人、最後の最後までオレは残るんだという人、見るからに疲れ果ててしまっている人、仮設の自治会長さんだけ見ても様々だ。そして仮設住宅団地が置かれている場所には、もともとその地域の自治を担ってきた区長さんたち地域の人たちがいる。仮設や地域を支える活動をしているボランティア団体や地域の行政もがんばっている。
多くの人たちが支え合おうとするその気持ちが、5年半後のいまは何とか支えられていると言ってもいいのかもしれない。仮設住宅の実情は、分かりやすくモデル化して伝えられるような類いのことではないと思う。
イベントがたくさんだった週末が明けた月曜日、今日も静まり返った仮設住宅にあの声が響いたことだろう。
「毎度、ごひい〜き、ありが〜とおっ」
区長さんの声が大切なことを教えてくれている。その意味をしっかりと伝えることができない自分がいる。