かさ上げされた土地で感じた『意外』

御蔵山は山田町の町のほぼ中心、海の近くにある小さな丘。江戸時代にはこの場所に、南部藩の出先機関が置かれていて、米や海産物など年貢として納める品物の蔵があったのだという。お上の蔵が置かれていたから御蔵山。まさにそのままのネーミングなのだが、そんな施設が小高い丘の上にあったとこと自体が、古くから海の脅威に晒されてきたことを物語っているようにも思えてくる。風がなければ波さえ立たぬほど穏やかな山田湾なのだが…

海近くにある小高い丘だから、御蔵山は山田の町の変化を眺める『定点』として好適な場所だ。10メートルもないかもしれない丘に上ると、海と陸の間に造られた防潮堤がまるで塀のように連なっているのが見渡せる。1年前、そして半年くらい前に来たときと比べて、海陸の塀はずいぶん長くなった。そして御蔵山のラインよりも陸側で進められていた高台を造るための盛り土造成工事や、災害公営住宅の建設工事がどんどん進んでいることもよく分かる。

ちょうど祭りの当日とあって、御蔵山の南側の高台にはお祭り広場が設置され、お祭り広場そのものも広々としたものなのだが、さらに広大な空きスペースには祭りを見に来た人たちの車がびっしりと並んでいた。

昨年は祭りの前日で、同じ高台では準備に大忙しな感じだったのだが、今年は祭りの当日だ。御蔵山を下りて車で高台のお祭り広場に行ってみることにした。残念ながらお祭り広場のステージショーは、お昼休みのインターバルで催し物は行われていなかったが、それ以上に驚いたことがあった。

それはかさ上げを体感として実感したこと。

高台のお祭り広場に向かって走りながら、「あれ?」と意外に思えたこと。

昨年同じ場所に来たときは、高台の下に車を停めて、鉄パイプや踏み板で造られた仮設の階段から高台に登った、つまり地上の道と高台との間にはそれくらいの高低差があったのだが、今回はほとんど坂道を上ったという感覚もないうちに、あっけなくお祭り広場の駐車場の入口に到着していた。

人間の目は横に並んでいるから、横方向の広がりは感じやすい反面、高低差を実感しにくいと言われる。たとえば登山で大変な思いをした山の写真を下山後に撮った時、山の斜面の角度は大したことなくて、思いのほかなだらなかな姿に見えてしまって残念な気持ちになってしまうことがよくある。山岳雑誌の記者をしていた先輩からは、「山の高さを強調する撮影ポイントというものがある」と教わったこともある。高低差は視覚によるものと実感したものとでは感じ方が違うということだ。山田の高台造成地では逆に、かさ上げされた土地の高さを実感することができなかった。

10メートルのかさ上げ工事と言われると相当な高さだと思ってしまうが、道路になだらかなスロープが付いてしまうと、高さを体感として感じることが難しくなる。それは日本の土木工事の技術が素晴らしいからということでもあるだろう。しかし同時に、造成が完了した後、かさ上げされた土地が『当たり前』になってしまった日には、津波被害の後に人の手で造り変えられた土地だということまで感じられなくなってしまうのではないか。

たとえば海から被災地を見ること、あるいは高台から定点観測することも大切だが、歩いてみないと分からないことがある。土地の高低や復興工事の進捗ばかりではない。その土地をホームタウンとして生きてきた人と話をすることで初めて教えられることも多い。

復興が進められる被災地には過去と未来が混在している。その間に今という時間が挟み込まれている。

2016年の山田祭りお祭り広場
町中にはほぼ完成して入居を待つばかりの災害公営住宅も
しかし山田地区の南には、陸前高田や東松島と同様なかさ上げ用のベルトコンベアが今もある
ベルトコンベアの土が仮置きされるのは公営住宅の隣。砂塵は大丈夫だろうか

御蔵山(おぐらやま)