板挟みのような感覚。復興は成ったのか

東京の友人にこの写真を見せたら、「これどこ? いつの写真?」と驚いていた。写真の場所は岩手県山田町、船越半島にある大浦漁港で、撮影したのはつい先月。

津波で防潮堤が破壊されたところには、新しい防潮堤が高い壁のように築かれているが、残った防潮堤とはまだつながっていない。というより隙間だらけで、いまもしも地震が起きたら、小規模な津波でも集落は再び濁流に呑まれてしまうのではと不安になる。

鋼鉄製の水門が流されたままのところもある。緊急避難場所だった防潮堤の上部の手すりも無惨な姿をさらしている。漁港の道路の舗装は一部のみで、4WD車でも最徐行で走らなければ危ない(パンクしかねない)。船着き場のケーソン(大型のブロック)も穴があいたり、大きな蓋がとれてしまったままだったり。防潮堤よりも陸側では住宅が再建されたところもあるが、低い場所のかさ上げは未完成。家が建てられた場所とかさ上げ工事途中の場所の境目が、たぶん津波被害が大きかった場所の境界ラインなのだろう。

東日本大震災から5年半。「東北はもう復興成ったと思っていたのに」と東京の友人は驚いたが、大浦漁港は復興が進まない特別な場所、というわけではない。ごくありふれた景色というには若干抵抗を感じるものの、復興が進んでいると紹介される場所のすぐ近くにある風景。あまりに日常的なので、驚くことを忘れてしまいそうになるほどだとでも言えば少しはニュアンスが伝わるかもしれない。

被災地で震災から5年半の実情を伝えるためには、被災地で暮らしている人たちの中でさえ『当たり前』になっている景色や状況を伝えていくことはたいせつだと思う。大浦漁港に限らずさまざまな場所、たとえば日本中のほとんどの人が知らないかもしれない小さな土地、しかしそこに暮らす人たちにとってはかけがえのないホームタウンであった場所の状況を地道に伝えていくことの意義は決して小さくはない。

がんばろう!石巻の看板が最初に掲げられた場所に残る「復興するぞ!」のペイント

しかし、こんなふうに言う人もいる。「まるで復興が進んでいないみたいなことは言わないでほしい」と。

たしかに、震災から5年半以上も経つのにまだこんななのかという状況を伝えることは、「復興は進んでいない」と言うに等しいことかもしれない。記事を目にした人の多くがそんなメッセージを受け取ることになるかもしれない。先日、福島の船会社の人からは、「進まない状況ではなく、少しずつでも前進している『ひと』にフォーカスしてほしい」とのアドバイスをいただいた。陸前高田の知り合いの商店主は、「一本松じゃなくて、がんばってる『ひと』こそが主役であり、また復興のシンボルなんだ」と言った。

もっともだと思う。そのとおりだと実感しているから、『被災地の本当のところ』に触れたいと思っている。

ただ、被災した人たちのそのような考えは、そこに生きる人たちにとって『当たり前になっていること』が前提でなければ伝わらないのではないか。そんな危惧を抱いてしまう気持ちもある。たとえば大浦漁港のような、進まぬ復興という現実があってこそ、その土地で前に向かっている人たちの生き様が伝わるのではないかとも思う。

石巻の被災地域に「がんばろう!石巻」の看板が掲げられたのは震災のちょうど1カ月後。看板の設置作業が行われているのを見つけたマスメディアの記者は、「震災から1カ月、明るい話題を探していたんです」というようなことを言ったらしい。内と外と切り分けて考えること自体デリケートな問題を含んではいるが、外の人にとっては『たいへんな話』ばかりではうんざりしてしまうだろう。『明るい話題』を求める気分になるのは、いい悪いは抜きにして当たり前のことなのかもしれない。しかし、震災で大きな被害を受けた石巻に、市民たちを鼓舞する看板が市民の手によって掲げられましたというばかりでは、絶望で満たされた心の中から絞り出すようにして看板を掲げた『被災地の内側』の人たちの思いが伝わるかどうか。

生活の軸足を東北に移してもうすぐ半年。それでも地道にやっていくしかないのだと、板挟みのような気持ちを感じながらも自らに言い聞かせる日々が続いている。

陸前高田の普門寺の本堂で見つけたおしえ