【タイムカプセル】広田ビーチ2013年

2013年夏

2013年夏、大船渡から陸前高田へ向かう途中でたまたま通りがかったそのビーチは、おどろくほど美しかった。

海はどこまでも青く、波が引いた砂浜に一瞬現れる水の鏡は、波と戯れる人たちの姿を映し出していた。

砂浜にわずかに漂流物はあったものの、海で泳いでいる人もいる。とても震災2年とは思えない光景だった。

震災で東北太平洋側の海水浴場は軒並み閉鎖され、ようやくほんの数カ所が再開にこぎ着けたのがこの年だった。再開した海水浴場の何カ所かを見てきた後だっただけに、ここ大野海岸の浜辺の賑わいは際立って印象深いものだった。

海の家はない。ライフセーバーもいない。地震や津波の恐怖は深刻だ。それでもこの浜辺には青い海と美しいビーチが残された。

ふるさとの美しい海がある。それ以上理由などいらないということなのだろう。

(私自身も含め)人は海が好きなんだと、あらためて知らされたような気がした。

後に知ったことだが、震災後砂浜が残ったビーチは岩手県下ではここを含め2カ所しかなかったそうだ。巨大な津波と地盤沈下の影響はそれほど甚大だったということだ。それだけに、美しい自然の砂浜が残された大野浜は貴重な存在だといえる。

2016年夏

三陸地方特有のやませ(夏場に発生する寒冷な濃霧)が海岸を覆いつくす。海岸線には高い防潮堤が築かれている。道路沿いから海を眺めることなど不可能になってしまった。

県道の登り坂の途中から浜辺を見下ろすと、濃い霧の間から時折、あの美しいビーチを見渡すことができた。

以前に比べて防潮堤ははるかに巨大になったが、それでもビーチは残っていた。震災以前の何分の一に減少したのかは分からないものの、3年前と同じ色の砂浜が防潮堤の外側に続いていた。

大野浜の隣のビーチや、有名な高田松原では、津波で失われた砂浜が少しずつながらも自然に再生し始めているという。しかしその一方でこんな声も聞く。

「高田松原で大々的に進められる砂浜の再生は、他所から砂を買ってきて行うものだ。それに、松原が再生するのは何十年も先のこと。高田松原の記憶や思い出を次の世代に引き継いでいくことはできないのではないか。松原で遊んだ記憶のない世代が出てくるのは残念ながら避けられないだろう」

2013年夏、津波の記憶も生々しい中、海の家すらない大野浜を賑わわせていた家族ずれの姿を思い出す。人はどうしようもなく海が好きな存在なのだろう。なぜだか分からないが海に魅せられてしまう生き物なのだろう。

震災後、海辺の町のあちこちでよく目にする「海とともに生きる」というスローガンは、漁業や水産業といった産業ばかりについての話ではないのかもしれない。

それでも海が好き。であるならば、こう願わずにはいられない。

津波を耐え、巨大防潮堤工事でも踏みとどまった大野浜の砂浜が、絶えることなく世代をこえて引き継がれていかれますように。