「建物は残します」米沢商会さんの言葉(陸前高田)

かさ上げ工事が進む陸前高田の町並み。2013年、被災地に残されていた建物の多くが撤去されていく中、そのビルは高田の町のランドマークのような存在になっていた。しかし、巨大ベルトコンベアによる大規模なかさ上げ工事が進められる陸前高田の町で、3階建てのそのビルは盛土に囲まれだんだん見えなくなっていった。

国道45号線から見た米沢商会のビル

米沢商会代表の米沢祐一さんは、2011年3月11日このビルの屋上、煙突部分にまで登って一命を取りとめた。足下まで津波が押し寄せてきたこと、奥さんや娘さんは無事だったがご両親と弟さんを津波で亡くされたことをメディアは伝えた。

米沢さんは新聞やテレビでこのビルを残すと決意を語ってきた。しかし、高田の町のかさ上げ工事が急ピッチで進み、積み上げられていく土の高さがビルとほぼ同じになっていくのを目にして、心配する声も少なくなかった。米沢商会のビルはどうなるのだろう。遺構として残されるにしても、かさ上げされた土地から見下ろすような形になってしまうのではないかと。

米沢さんは現在、仮設商店街で以前と同じパッケージプラザの経営を続けている。震災から5年、米沢さんにビルの将来について聞くと、「もちろんビルは残します」という答が返ってきた。

ビルは行政が保存する震災遺構としてではなく、米沢さん個人のものとして保存されるという。かさ上げで周辺の土地から見下ろすような形になるのではという不安にはこう応えてくれた。

「復興計画ではビルの山側からかさ上げになるので、米沢商会のビルは影響を受けません。行政に無理を言ったということではなく、当初からそのような計画だったようです。建物の強度は十分あると診断されているので、最低限の補修などを行った上で建物を保存し、後は時間の経過に委ねていく考えです」

米沢商会の海側にある盛土は仮り置きで、最近では少しずつ量も減っているという。

奈々切跨線橋からの米沢商会のビル

米沢さんはこれまでも建物の見学を求める声に応えてきたが、今後も変わらないという。ただし、敷地が工事現場なので、立ち入りには必ず建設会社担当者の同行が必要になる。現場が休みとなる日曜日には立ち入りできない。また、米沢さん自身、仕事の合間を見ての対応となるため、「3、4人以上で」「事前にスケジュールを相談してもらった上で」が条件だそうだ。

高台に移設された高校から見た米沢商会ビル

陸前高田の町に広がるかさ上げの土地は、ただの建設現場ではない。そこは多くの人たちが命を失った場所であり、また新たな町がつくられていく場所。ご家族を亡くされた土地にビルを残そうという米沢さんの気持ち、伝えたい思いを十分理解していただいた上で、米沢商会のビルと陸前高田の町の見学を検討していただけるとありがたい。

米沢商会は高田大隅つどいの丘商店街で営業を続けている