【シリーズ・この人に聞く!第108回】ハンドベル界のトップ奏者「きりく・ハンドベルアンサンブル」主宰 大坪泰子さん

ハンドベルの音色は、独特の倍音の効果から「天使のハーモニー」と呼ばれています。ベルの大きさは、高音用の手のひらサイズのものから、抱えるほどのバケツサイズのものまで。低音部のものはベルひとつで重さが4キロ以上あり、時には8キロ以上のものを使用するそうです。恍惚の音色を8名のチームで奏でるプレイはまさに神業。ハンドベルを30年以上愛し、日本の第一人者として世界を駆け巡る大坪泰子さんは3人の子を育てる母でもあります。演奏の魅力、そのいきざまに迫ってみました。

大坪 泰子(おおつぼ たいこ)

ハンドベルの既成概念を次々に覆す若き第一人者。その意志に共鳴した作曲家たちから数多くの新作も献呈されている。世界初のハンドベルによるカーネギーホール公演、大統領夫妻の招待によるホワイトハウスでの演奏会なども行う。1992年、自らチェンバーリンギング・ソロイスツ(CRS)を結成、主宰。その全く新しい演奏スタイルと深い音楽性で注目され、ハンドベル界のパイオニア的存在となる。国内外で人気を博し、ウィーンフィルのトップメンバー達と共演するなど欧州でも活躍。TVにも「題名のない音楽会」「徹子の部屋」NHK「おはよう日本」等数多く出演。CD「天使の復活」「ハンドベル・バッハ」の2枚を東芝EMIよりリリース、そのライナー執筆も手がけるなど文筆面での人気も高い。2001年、結成10年となるCRSを惜しまれつつ解散。その後アメリカのトップグループ、ソノス・ハンドベルアンサンブルの日本公演をプロデュース、メンバーとしても日米のツアーやレコーディングに度々参加し絶賛を博す。2002年に若手を集めて結成した「きりく・ハンドベルアンサンブル」は、2007年のアメリカツアー時より「世界で最も素晴らしいハンドベルアーティスト」と評価され、その後も数々の海外ツアーを経て、「ハンドベル芸術の最高峰」として欧米で絶賛されている。

その音色を聴いて「私はこれを演奏する!」と直感。

――本格的ハンドベルの演奏を私先日初めてお聴きして深く感動しました。眠りの森に引っ張られる強い引力も感じて。ハンドベルっていろいろな音があるのですね。今日はハンドベル界を牽引する立場でその音楽の魅力と、ご自身のプライベートについてもお聞かせください。泰子さんはハンドベルをいつから始められたのでしょう?

中学からです。学校(恵泉女学園)にハンドベルクワイアありまして、その音色を聴いて「私はこれを演奏する!」と強く思って入部しました。それまでは4歳上の姉が習っていたピアノを私も習っていましたが、あまり熱心ではなく。中学1年生から母の薦めでお筝も始め、筋がよい!と褒められて「三味線を弾けるようにして芸大を目指しましょう」とお師匠さんに勧められました。音楽は好きでしたが気乗りせず、それは選択しませんでした。

中高過ごした女子校ではハンドベルのクラブ活動に没頭した。(真ん中が大坪さん)

――ご経歴拝見すると早稲田大学第一文学部卒業されていますよね。ハンドベル奏者…なので音大ご卒業されていらっしゃると思いこんでいました。進路選択の理由は?何かきっかけがあったのですか?どちらにしても優秀ですが!

本を読むのが大好きで、執筆する仕事をしたいという思いもありました。同時に大学時代も相変わらずハンドベルが大好きで、ずっと続けてきた演奏活動。どちらも好きでしたが残ったのがハンドベルでした。学生時代に宅建免許も取得して、大学卒業後は家業の不動産業を手伝っていました。仕事の定休日は演奏レッスンやコンサート活動も続け二足の草鞋。休むなくそんな生活をしていたら、ある時倒れてしまいました(笑)。

――その頃から日々、全身全霊なのですね。主宰されている「きりく・ハンドベルアンサンブル」はいつからスタートされたのですか?

きりくは2004年にデビューしましたが、その前進に10年続けたハンドベルグループがありました。残念ながら解散したので、とりあえずやり直すためのきっかけとしてアメリカでも活動してみようと思って、楽器メーカーの社長が薦めてくれたアメリカのグループの指揮者に手紙を書いたのです。すると先方は私のことをよく知っていてくださり「きみの好きなように演奏してくれればいい」といってハンドベルグループに入れてくれました。

――さすが!ハンドベルの第一人者として海外に知られていたのは活動しやすかったのでは?

渡米前に、大阪のあるホールから翌年の公演を依頼されたので、アメリカのグループでもいいかと伝えたら「とにかく大坪さんが演奏しているなら誰と組んでもいい」というオファーを頂きました。それで、アメリカのハンドベルグループと一緒に大阪公演をするつもりが、私が第二子を妊娠したことで、出演者として立てなくなりそのツアーにはプロデューサーとして徹することになりました。ちょっと申し訳なかったですが…。その後は単独でアメリカのチームに加わったり、そうこうするうちに育ってきたきりくを連れてアメリカツアーしたり。一年に8回くらいアメリカと日本を行ったり来たりして、毎回税関で「sightseeing」と答えていたら、ある時入管止められたこともあります(笑)。音の感性が違うアメリカで演奏経験できたことはとてもよかった…ひきだしが増えましたね。

私がハンドベルを好きだから、皆も好きになる。

――アメリカと日本のハンドベルの音色は違うのでしょうか?

違いますね。ただ、私の場合は国籍の違いより「きりく」で取り組んでいる演奏が特殊。他とは、やっていることが違うので。例えば、「きりく」ではハンドベル経歴の有無は関係ありません。私は指導する際、ベルの持ち方から変えてしまうので、ハンドベル経験が長かったとしても関係ないのです。その人がどれだけ他の楽器を含めて音楽経験や可能性があるか?を問います。

8人のメンバーで奏でる音色は一人欠けても成り立たないチームプレイ。

――音楽を愛せるか?という…チームプレイで美しい音色を構築するハンドベル。これはどのように指導されるのですか?

どんな音を出したいか?は自分が長年やってきた中でどんどん欲として出てくるもの。誰に習うというわけでなく、音を身につけてきてしまった。それを若いメンバーに教えようとしても、自然に身についたことは意外と教えられないものです。最初は皆も何を言われているかわからなかったようです。楽譜通りに演奏しても「違う」と言われるのはなぜか?
それで私が「こうよ」と音のお手本を示しても「その音が違うのはわかります。でも、どうやってその音を出せばいいのかがわかりません」…と言われたり(笑)。「私はこの音をどうやって出しているの?」と自問自答をしながら、教えるってとても勉強になることだと感じました。

各地での演奏会でも「本当に感動して泣ける音楽」として好評を博しファンを増やしている。

――ハンドベルの演奏家であり、指導者でもあり、ものすごいパワーが必要ですね。

以前カルチャースクールでハンドベルの講師を引き受けて、生徒さんたちが皆楽しそうに上達していく姿を見てきました。3ヵ月限定でお引き受けしたはずでしたが、結局2年も講師を務めた。その生徒さん達が自主的に立ち上げたアマチュアグループは、今や有料でハンドベルコンサートを開催するほどの実力になりました。私は自信もって言えますが、私が指導する生徒さんは皆ハンドベルが好きになる。なぜなら私もハンドベルが好きだからです。

――それって一番だいじなポイントです。好きという気持ちは原動力になる。その熱さは伝染しますね。

この音素敵でしょう?こうやって出すんですよ~って伝えると、皆顔を輝かせて本当だ!と演奏できるようになります。また今日も上手くなっちゃった!という良い循環。好きになるから、どんどんうまくなる。好きにさせちゃっているんですね。メンバーも出産や子育てなどそれぞれ経ていますが、何があっても辞めずにずっと活動を共にしているのは、好きだから辞めないのでしょう。私が演奏を仕事モードで取り組んでいたらもう少し違うかもしれませんが、クレイジーなもので(笑)。理屈ではない素敵な音を追求しています。

経験したことは、すべていかされている。

――ハンドベルの第一人者でもありながら3人のお子さんのお母さんでいらっしゃいますが、教育方針はおありですか?

『好きなことを一つでいいから作りなさい』と伝えています。中2長男は理科が好きで理科研究部に所属しています。虫や魚や微生物に興味があるようです。先入観をもたずに多面的に物事を見る大切さを教えています。一方、小6次男はサッカーと卓球をやっていて、体を動かすのが大好き。幼稚園年中の長女は音楽をやりたいようです。何をやらせたからこうなりました…というのではなく、持って生まれたものがそれぞれあると思います。

高校当時から目立つクールな美少女。(後方真ん中が大坪さん)

――おもしろい!3人ともそれぞれ趣向が異なる。泰子さんは幼少期からハンドベル奏者を夢見ておられたのですか?

ハンドベルは中学で出会ってから好きになりましたが、小学校時代はチェロを習いたいと親に頼んで却下されていました。チェロを習っていたらまた違う人生だったかもしれないし、やっぱりハンドベルをやっていたかもしれないし。大人になってからチェロを習う機会に恵まれました。すごく思うのは、やってきたことすべてがいかされている。邦楽も、弦楽器も、読んだ本、観た映画、体験したことや見てきたものすべてが音に反映されます。どんな音をイメージできるか?は、経験してきたことで成り立っていると思います。

――人生経験のすべてが演奏の深みにつながっているのですね。ちなみに10歳年下の旦那様の存在も音色の深みに?(笑)

夫は音楽をやっていません。そもそもの出会いは、世田谷にある実家の近所のおいしいフレンチレストランへよくランチに通っていて、夫はそこの店員のひとりとして働いていました。頼んでもいないのによくデザートも出てくるのでサービスとはいえ親切だなぁ…と思っていたら、私は彼の名前も覚えていなかったのですが、あちらは好意を寄せてくれていたようで。10歳違いますが、当時からそんなに若くも見えず、好みというわけでもなく、趣味も違う…。まったく対象圏外、ノーマークの人でしたから…なぜ夫婦になったの?と聞かれれば「ご縁」としか言いようがないです(笑)。

――恋愛は理屈では表現できないもの。音楽も一緒かもしれません…「きりく」の演奏は楽譜を追うより、イメージを共有して奏でる音色なのですね。今後どのような活動を?

とにかく良い響き、良い作品を創りたい。場のエネルギーも人の意識も変わるような音楽。独りでできることはやりすぎて潰れやすいけれど、皆でするものは制限付きではあるけれど息長くできます。もっとたくさんの場で演奏をしたい。私たちのハンドベル作品は量産ができません。もし量産するなら時間が必要で、できるだけメンバーチェンジはしたくない。5年後、10年後どうなっているかはわかりませんが、同じメンバーで活動を続けていられる奇跡が起こることを願いつつ、より熟成された音楽を創っていきたいですね。

編集後記

――ありがとうございました!とにかく鳥肌がたつほど美しいハンドベルアンサンブルの音色。これはライブで体験しないとなかなかその素晴らしさを伝えきれません。チームプレイで奏でる複雑なパフォーマンスは演奏だけでなく、曲目を変える時も。料理人のように手際よくベルの用意をする姿にも釘付けになりました。泰子さんの落ち着いた物腰は、熟練者だけが持ち得る自信に裏付けされたもの。世界のハンドベルプレーヤーも、家に帰れば母であり、妻であります。自分の軸になること、ハンドベルが人生の真ん中にあるせいか、家族それぞれの個性を尊重しながら、俯瞰で見守る感じがひとりの女性として素晴らしいなぁ~と思いました。さらに熟成されたハンドベルを演奏できるよう、これからのご活躍も応援しています!