【シリーズ・この人に聞く!第34回】元サッカー選手日本代表 解説者 北澤 豪さん

90年代ヴェルディ黄金時代を支え、Jリーグサッカー人気の牽引役となった北澤豪さん。長髪をなびかせ、豊富な運動量を誇るプレースタイル。そしてゲーム中に垣間見せる旺盛な闘志は、サポーターの応援をさらに熱くさせたものです。2003年引退後は、コーチや解説者、キャスターとしてサッカー選手を育成、普及する立場へ転身されました。小6長男、小3次男、幼稚園年中組の長女の3人のお子さんは皆、サッカーが大好きなのだそう。ピッチの内外で軽やかに活躍し続ける北澤さんに、サッカーを愛する子どもたちへの思いをお聞きしました。

北澤 豪(きたざわ つよし)

1968年8月東京都町田市生まれ。
小学校1年生からサッカーをはじめ、 中学で読売サッカークラブへ。
その後、修徳高校を経て1987年に本田技研に入社。
1991年に読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ 復帰を果たし、2002年シーズン終了後までJリーグで活躍。
また、9年間日本代表としても数々の国際試合舞台に立った。 (Jリーグ通算265試合41得点、日本代表通算59試合3得点)。引退後は、現役時代から続けていた社会貢献活動を続け、 現在、日本サッカー協会特認理事兼国際委員、JICAオフィシャルサポーター として国際貢献に従事し、サッカーの普及・発展に努めている。

自分できっかけを掴む時期には個人差がある

――少年サッカーチームといってもレベルが全然違う町田市の強豪チームで、北澤さんは小学生時代から活躍されていました。サッカーをすることになったきっかけは何でしたか?

僕が生まれ育った町田市は当時新興住宅地で、市全体でスポーツに取り組む時代でした。子どもだけでなく、僕の父は野球、母は卓球を楽しんでいました。行政や地域主導で開催することに、住民皆が参加することでコミュニティの広がりがありました。たまたま僕が入った町田JFCというチームは昔から強かったのですが、強いからそこを選んだわけでなく、近所に住んでいて小学1年生から入部させてくれるチームだったから。子どもがスポーツから学ぶ体制がありました。小学1年生の時にどんな練習をしていたかは覚えていませんが、球を蹴るのが楽しくて仕方なかった。僕の場合は、たまたまそれがサッカーというスポーツで、早い時期に出会うことができた。自分できっかけを受けとめるようになるには、個人差がありますね。

小学1年生から町田の強豪チームJFCに入部。球を蹴るのが大好きな少年だった。

――北澤さんの場合、サッカーに目覚めてきっかけを掴めたのは、いつ頃でしたか?

最初からやる気があったわけではないんです。小学4年生の時に、6年生のチームの試合に出させられた時も「何で俺なんだろう」と。中盤のポジションで、同学年チームでサッカーやっていたいのに。当時は、選ばれているという認識すらなかった。

――欲がなかったんですね。当時からダントツでうまかったのかもしれませんが、チーム内でのご自身をどんなふうに位置づけられていらしたのですか?

サッカーがうまい人は他にもたくさんいました。でも「こいつには負けたくない!」とチーム内のメンバーと自分を比較する気持ちはありました。あの頃、サッカーという競技に求められる協調性はありませんでしたね(笑)。切磋琢磨しながらサッカーという団体競技の深さを知っていきました。小学校時代から社会性は身に付けられませんが、早い時期からスポーツを通して「ひとつの社会」を知ることってとても大事だと思います。

――中学生になってからは、読売ジュニアユースに入部されました。選りすぐりのサッカー少年が各地域から集まって練習も大変厳しいものだったと思いますが……。

何しろ中学生、高校生、プロ…と年齢も立場もさまざまな人が集まってサッカーをやっているわけです。
小さい頃から憧れていたラモスが横でドリブル練習とかしている。トップレベルの練習を間近で見るだけでもすごく勉強になる。横の広さ、上への広がり、高さを知ることができました。あんなふうにプレイするには、どうすればいいかを肌で感じることができた。

偶然と必然の組み合わせによって今がある

――部活動ではなく読売のジュニアチームに通われて、ご飯を作るお母さんも大変でしたよね。当時はどんな毎日、一週間でしたか?

練習は水曜から金曜、試合が土日ありました。
練習や試合のない月曜と火曜もグラウンドへ行ってたので、ほとんど毎日でした。
親やコーチから言われてやっていたわけでなく、好きだから球を蹴って触っていない
と気が済まなかった。
そんなサッカー漬けの毎日で、親には心配されて「ちょっと、あなた大丈夫?」と
聞かれたりして(笑)。学校から帰宅後、家に用意されたものを食べ、一人で用意して
電車で通っていましたね。

小学5年生の頃。すばしっこいプレイで小4の頃から小6のチームに混ざり試合に出場していた。

――高校生になってからは学校の部活動でサッカーを選ばれて。またこれまでと違う環境になったのでは?

読売のジュニアチームには家を引っ越して通いきれなくなったこともあって、高校へ進学後、間もなくして退部しました。幼い頃から厳格な父から「おまえは高校でサッカーをやってみろ」と。チームワークとか鍛練について言われました。僕は皆で輪になって心のない「オー!」という掛け声も嫌いでしたから。生意気なサッカー部員でしたから、いじめられたりもしました。

――高校時代の練習はハードでしたか?

そうですね。今の時代では考えられない間違ったトレーニングとか、練習中に水を飲んではいけないと言われ我慢大会みたいこととか、ありましたね。でも、僕は真面目にそういうの受け止めなかった。常に抜け道を考えていました(笑)。それと、僕は食べ物とか人間とかにあまり嫌いなモノがない。辛いことも楽しく変換できるタイプなので、辛くて大変という感覚が薄かったかもしれません。

――北澤さんが指導者をされる団体には、プロになるのを夢見て集まる子も多いのでは?

そうですね。子どもよりも親のほうが期待をして入部されるほうが多いかもしれません。案外、基礎的な練習ばかりで「これで上達するのでしょうか?」と心配される親御さんもいらっしゃるくらいです。僕が言えるのは、何事も基本を押さえること。僕よりもっと上手な選手をこれまでたくさん見てきましたが、上手な選手だからプロになって活躍するというわけではない。もちろん自分自身で選んで置かれた環境で、必然的にやらなければならない練習
や経験はありましたが、偶然に出会った人とかチャンスがあったからこそプロに進むことができた。言ってみれば偶然と必然の組み合わせによって今は成り立っているものだと思うのです。

スポーツは「表現」だと思う

――今、指導者として子どもたちと接する立場になりました。選手時代と比べて楽しさや喜びという点で、いかがでしょうか。

できなかったことができるようになる、という体験はうれしいものです。また、幼い頃に体験した「勝った喜び」は、大人になってからも鮮明に記憶しているものです。大人になっても同じように「勝つ喜び」を味わえるのは幸せです。もちろん勝敗だけが目的ではなくて、勝つまでのプロセスがあってこその感動ですが。

試合中の気合いはプロになってからも同じ。少年サッカー時代からポジションはMFで活躍

――ものすごく厳しい環境でサッカーを続けてこられて、「もう辞めたい」と思われたことはありませんでしたか?

小学生時代は特に強豪チームで厳しい監督でしたし、家では父がとても厳格でしたから、どこにも逃げ場がありませんでした(笑)。よく続けてこられたと思いますが、母の存在も大きかったようです。これは、つい何年か前に母に言われて気づいたことですが、「私は、あなたのことを一度も怒ったことがなかった」と。改めて振り返ると、母には本当に怒られたことがない。それは、家庭内では父が怖い立場でしたから、母がバランスを取っていてくれたのでしょう。辞めたいというのはありませんでしたが、思春期になってからは、親から何か伝えることがある時は置手紙をもらっていました(笑)。

――この子は才能がある、と指導をされていて感じられることもおありと思います。どんな子が伸びると思いますか?

あきらめずに続けられる子です。例えば、サッカーのリフティングも100回続けられるようになるまで、最初は何度も失敗して続かないものでしょう。「ああ、もうできないや」と放り出してしまうか、できるようになるまで頑張って続けて練習するか。自分の限界を決めてしまうと、伸びるものもそこまでになってしまう。

――なるほど。では、ゲームに勝つためにはどんな練習、心構えが必要でしょう?

僕は、スポーツは「表現」することだと言っています。つまり、練習で何をしてきたか、結果を出せるも出せないも、その人がどんな人間性かに掛かっています。予期せぬ出来事に、とっさの判断でどんな対応をするか、その人間のすべてが出てしまう。全身の筋肉を鍛えるだけでなく、心の瞬発力も鍛えることが大切です。サッカーだけでなくスポーツを通じて心身共に鍛えていると、大人になってからの考え方にも一本筋が通る。子どもたちが困難な時代でも生き抜いていけるよう、これからもサッカーを通じて応援していきます。

編集後記

――ありがとうございました!偶然と必然が重なって今がある、という言葉にとても共感しました。北澤さんのお育ちになった町田市は、私も中高生の頃過ごした街。ほぼ同世代で、卒業した中学校もご近所だったことに小さな喜びを感じました。私の息子もサッカー大好きで続けていますが、好きなことを続けていける、その気持ちを育てていくことが大事なのかな、と感じました。同世代として、これからも応援しています!

取材・文/マザール あべみちこ