数字で見る東京電力福島第一原発「人口・面積・人口密度」

東京電力福島第一原子力発電所の敷地面積は350万平方メートル。そして現在、事故原発で働いている人数は毎日約7,000人とされる。1平方キロメートル当たりの人数で計る人口密度に換算すると約2,000人という計算になる。

でも、そもそも毎日働いている約7,000人という作業員の人数や、人口密度約2,000人という数字を具体的に想像することができるだろうか。中規模の高等学校の生徒数がだいたい1,000人程度と考えると、その7倍の人たちが日々事故原発で廃炉に向けて活動していることにはなるが、そもそも自分が通った高等学校の全校生徒すべての顔と名前を知っている人など希だろうし、その7倍など想像もできない。

そこで身近な統計数字を引き合いに比較してみた。

日本最大の工場と比べると?

電力事業はエネルギーを作り出す工場のようなものだから、統計によっては製造業のひとつとして扱われることがある。そこで日本最大級の工場と比較してみようと思って調べてみたが、意外とよく分からない、というか現在の日本の工場には、広さの面でも従業員の数でも3.5平方キロとか7,000人という規模のものはなかなか見当たらない。

面積という点では巨大な高炉を何基も備える製鉄所が群を抜いてでかい。たしかに、でかいでかいとされる新日鐵君津製鐵所の敷地面積は1173万平方メートル、11.73平方キロメートルだし、戦前戦後の重工業を支えてきた新日鐵八幡製鐵所に至っては1505万平方メートル、11.73平方キロメートルで15.05平方キロメートルもある。しかし従業員数は君津、八幡のそれぞれ約約2,600人〜2,900人ほど。東京電力の事故原発で日々働いている約7,000人という人数には遠く及ばない。

もちろん人口密度という点から言えば、広いフロアにずらりとデスクが並ぶオフィスビルや、かつての製糸工場や縫製工場もきっと高いだろうが、仕事の内容がまったく違っている。人数自体で見ても、たとえばかつての炭坑には福島第一で働く人を凌駕するくらいの労働者がいたことだろう。しかしこちらは時代背景が異なっている。

工場とか製造所という視点で見ても、現在の福島第一原子力発電所で働く人たちの人数を想像することは容易ではなさそうだ。

現在の市町村の人口や人口密度と比べると?

そこで人口や面積のデータが簡単に調べられる全国の自治体と比べてみた。

全国790の市や198ある政令市の区の人口と比較してみると、北海道夕張市の8,845人がニアピンといえる。面積で近いのは埼玉県蕨市の5.11平方キロや、大阪市浪速区の4.39平方キロ。いずれも区と市では最小面積の自治体だ。人口密度2,000人に近い市としては、あのタカラヅカの所在地である兵庫県宝塚市(2,209.99人)、2010年に政令指定都市になった神奈川県相模原市(2,193.49人)、県庁所在地である岐阜市(1,998.36人)、カツオやマグロの水揚げで知られる静岡県焼津市(1,984.26人)、官営の八幡製鐵所の生誕の地、北九州市八幡東区(1,955.11人)などが近い。(いずれの市・区とも全国では150位前後)

ただ、全国の市の中には平成の大合併で周辺自治体と合併し、面積が拡大したところも少なくないので、人口密度で比較するのはやや乱暴な気がする。しかしその反面、東京電力福島第一原発のGoogleMap画像で広大な面積を占めているタンク群や現在造成工事が進められているエリアを含めて敷地の大半が、事故以前には緑地だった(野鳥の森と呼ばれる地域すらあった)ことを考えると、いい線いっていると言えなくもない。

「日報」に登場する主な施設。原発などの建屋や事務棟などの他は敷地の多くがかつては緑地や公園、グラウンドだった(Google Mapに加筆)

3.5平方キロの敷地内に7,000人という人口を擁するのは、東京23区や都市圏のベッドタウンの市ほどではないにしても、それなりに高い人口密度と理解してよさそうだ。

敷地面積でたとえるなら?

敷地面積で自治体と比較するとなると、東京電力福島第一原発の敷地面積3.5平方キロは広いようでかなり小さい。全国に735ある町の中では大阪府の忠岡町(3.97平方キロ)、そして全国およそ1700の自治体として面積が最小の富山県舟橋村の3.47平方キロなどが見つかる程度。

電力会社やエネルギー関連の官僚、大学などの研究者、総合電機大手のT社やH社、M社、旧帝国海軍の戦艦の主砲を製造した経験を原発の圧力容器製造に活かしているとされるN社といった巨大企業など、原発に関わってきた人たちのグループの閉鎖性を「原子力村」と揶揄する言葉があるが、自治体面積でほぼ同じであるのが、日本最小の村であったとは。何か不思議な因縁めいたものすら感じる。

そもそも、面積で福島第一に最も近い舟橋村とはどんなところなのだろうか――?

日本一小さな村は日本一輝いている村

富山県中新川郡舟橋村は、明治時代に町村制が敷かれて以来一度も合併を経験していない村だ。現在日本で最も小さな自治体として知られるが、富山市に隣接し、富山地方鉄道本線も走っている。かつて西武線の特急レッドアロー号だった車両が普通電車として運用されていたりもするので、鉄道ファンにも知られている。

それはさておき舟橋村のホームページを開くと、「日本一小さな村は日本一輝いている村です。」とのキャッチフレーズが飛び込んで来る。小さな地方自治体のホームページとは思えないほどおしゃれで明るいイメージが、そして村の人たちの地元への愛情や誇りが伝わってくるようなページだ。

それもそのはずで、舟橋村は富山市の中心部へは電車でもクルマでも15分~20分ほどでアクセスでき、ベッドタウンとして人口が増えてきた。平成22年の国勢調査によると、15歳未満の年少人口割合が21.8%で日本一に輝いている。人口減少が進む全国の中にあって、これはすごいこと。ホームページには「富山平野のほぼ中央に位置し、豊かな自然と整備された田園、そして雄大な立山連峰を望む景観は、四季折々で美しい表情を見せてくれます」と自己紹介もされている。一番小さな村とはいうものの、ともすれば限界集落を想起してしまいがちな「村」のイメージとは正反対の自治体なのだ。

ひるがえって、敷地面積では舟橋村とほぼ同じ福島第一原発はどうだろうか。

ここには15歳未満の年少者はいない。事故原発周辺には帰還困難区域が広がり、年少者には一時帰還も許されないのだから、原発の敷地内や敷地近くに年少者がいるはずがないのだ。舟橋村にあるような図書館もない。レッドアロー号のようなマニア受けする電車はおろか、鉄道すら走っていない。残念ながら、もちろん家族の生活の場もない。面積はほぼ同じでも、そこにある生活は舟橋村とはまったく別のものだ。

そもそも舟橋村の人口は3,000人ほどでしかないし、そのうちの労働人口は2,000人程度だ。人間が「輝いている村」とはそういうものなのかもしれない。

事故原発で働いている約7,000人の人たちがおかれている環境は、それだけ大変なものなのだ。たしかに事故原発は廃炉実現に向けての労働の現場であって、生活の場なんかではない。しかし、そこで働く7,000人の人々は、その環境の中で食事もすれば水も飲む、そして呼吸をして過ごさなければ生きていけない。

昨年には大型の休憩施設も完成した。温かい食事をとれる環境も少しずつと整ってきている。敷地内の除染が進んで全面マスクを装着しなくても活動できるエリアも増えてきた。今年に入ってからは、大型休憩施設のビル内とはいえ、コンビニも開店した。

むろんそのこと自体はいいことだ。しかし、3.5平方キロの敷地内で7,000人が就労する環境を考えれば、「ようやく緒に就いた」という状況でしかない。

普通の規模の高等学校生徒7校分の人数が、職場である事故原発の近くに生活の場を持つことができない「どうしようもない状況」の中で働いている。現場から50キロメートルも離れたいわき市から毎日通っている人も多い。国道6号線で原発方向へ走るクルマが増加するのは日の出前からだ。朝夕の渋滞は想像を絶する。

事故原発に入って、廃炉に向けての作業の現場を実際に見ることは、今日でも一般人には難しい。だから朝夕の渋滞や、多発する交通事故を目にする中で「想像」したり、地元の人、あるいは事故原発で働く人の話から「想像」するほかない。

作業員の人数や敷地面積といった数字を元にこの一文を作ったのは、現場を想像するための一助になることを願ってのことだ。事故原発の内部事情はなかなか外には伝わってこない。東京電力は広報に力を入れているが、それでもまだほとんどがブラックボックスの中だと言っていい。

廃炉までには40年が必要だとされる。それとて確かな根拠があるわけではない。

「東京電力福島第一原子力発電所」という言葉を耳にした時、そこに毎日7,000人もの人たちが働いていること、生きていることを忘れないようにしたい。私たちは東京電力福島第一原子力発電所という言葉そのものをブラックボックスにしてはならない。

※ 記事作成にあたっては、「ランキングデータ(47都道府県、市区町村)」、舟橋村ホームページ、Wikipediaの情報を参照しました。